出版ご案内と日記
- 2015/11/19
- 16:00
小林健彦教授の「分かりやすい日本文化論シリーズ」
書籍のご紹介
作品のラインナップ(電子書籍の製本版。普通の紙の本です)
①韓半島と越国(かんはんとう と こしのくに)
~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~
現在の北陸地方、新潟県域を合わせた地域、かつての「越国」を通して見た、朝鮮半島や、中国大陸を見据えた国家間交渉の行方とは何か?古代日本国家の威信をかけた対外交渉の顛末とは?日本にしかなかった謎の宝石「夜明珠」と阿蘇山との関係。そしてその使い道とは何か?能登半島の能登島にあるツイン石室をもつ古墳の謎。海を見渡せるそのロケーションに秘められた思いとは?新羅国文武王の海中王陵が物語る、日本との意外な関係とは?初期日本海軍を担った「海人(あま)」集団と船舶、それらを掌握したヤマト王権による日本海側東進の思惑はどこにあったのか?高麗船がもたらした銀簡の謎。そこに書かれていた不思議な文字の意味とは何か?文禄の役の際、上杉景勝や直江兼続は朝鮮半島で何をして来たのか?朝鮮半島に日本式のお城がいっぱいの謎!!画像データも豊富に掲載。分かりやすい内容です。中学生以上向き。地域学習や講演の資料としてもご利用いただけます!!
版型:B5版 ページ数:349ページ 価格:4,191円(税込) ご注文は下記より
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電子版 https://bookplt.com/viewer/tOnJDC7xUk3QxADgla3k6aCw7MBjYMlfiEqdYeFfdnwfBfQ4fC1377
②災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~
日本において発生してきた数々の自然災害や疾病が、どのように記録され、また、どのように克服されてきたのかを、分かりやすく解説!!日本で最初に記録された地震はどの様なものだったのか?古代の天皇によって発表された「不徳」と災害との意外な関係!お坊さんが医者?医者がお坊さん?女医さんもいた!!古代日本の医療制度。病気と鬼の関係とは?節分には桃の種を投げていた?道祖神の原型とは何か?中国災害史との意外な関係とは?「方丈記」に見られる日本人の無常観とは如何なる経緯で成立したのであろうか?災害立国日本の軌跡を描いた一書です。画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:307ページ 価格:3,676円(税込) ご注文は下記より
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電子版 https://bookplt.com/viewer/8AbdBwNa7q3a1IUefKWugEq6vBR7OisP7yVpJur4XwCpeIMFIA1377
③災害対処の文化論シリーズ Ⅱ ~室町時代より江戸時代の地震災害と対処の生活文化~
室町、戦国時代~江戸時代初期、そして、幕末期にかけて発生していた数々の地震災害。当時の人々は、これらの震災に対して、どのように対処をしようとしていたのであろうか?豊臣秀吉も地震より命からがら助かっていたって、本当?前代未聞!空より降り注いだ「馬の毛」の正体とは一体何か?江戸時代の大名が最も恐れた自然現象とは何?江戸城にも存在したパニックルームとはどんなもの?災異改元にすがる天皇や将軍。震災後、根拠のない中国文献を漁り、未来予想図の構築にすがる為政者の謎の姿!!日本の地下奥深くにまで突き刺さる謎の岩体!!鯰絵って何?江戸時代幕末には鯰の蒲焼を食べて地震鎮め祈願をした?琵琶湖に浮かぶ竹生島が日本の中心って本当?こんな疑問を分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:245ページ 価格:3,086円(税込) ご注文は下記より
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電子版 https://bookplt.com/viewer/heqnywzgVizjsv1JW75n4RWgD6BYJppGMI85vqyXHJ4qQNI5Of1377
④災害対処の文化論シリーズ Ⅲ ~新潟県域に於ける謎の災害~
新潟県における災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。今まで海底であった場所が、一瞬のうちに陸地になってしまったという想像を絶する災害の謎とは?ええっ!新潟が無い!!海だらけ、謎の「越後国図」!!新潟にも、とっても怖い活火山があったの?島や海沿いの神社が一瞬で消えて無くなるってどういうこと?キーワードとしての古代日本語「奈具志(なぐし)」の謎!!盲目の女性芸能者であった瞽女(ごぜ)により語り伝えられていた壮絶な地震被害の内容とは?こんな疑問を分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広く利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:224ページ 価格:2,860円(税込) ご注文は下記より
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電子版 https://bookplt.com/viewer/FZYmuqvUueGPkYYw8Bg7L705PSXMC1HzfkSkf80w2vRDAKIFiD1377
⑤災害対処の文化論シリーズ Ⅳ ~北陸、新潟県域の古代と中世~
北陸、新潟県域を対象とした災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。古代より中世の時期にかけて、想像を絶する災害が発生していた北陸、新潟地方。ネズミの大移動が意味していたこととは何か?「人魚」も災害?聖徳太子と人魚との意外な関係とは?北陸地方でもオーロラが見えた?今より充実していた古代の「厚生」政策とは?「泥雨」の恐怖とは何か?しかし、当地の民衆は、屈することなく、地域社会の維持に努力をしていた。災害対処の様子を文化史として分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広く利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:261ページ 価格:3,276円(税込) ご注文は下記より
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⑥災害対処の文化論シリーズ Ⅴ ~浪分けの論理、水災害としての津波~
宮城県、福島県、静岡県、新潟県、福井県、京都府を中心とした地域における津波災害対処の様子を、文化史として分かりやすく解説!!日本神話に隠された自然災害の痕跡と子孫への警鐘。「浪分」とは何か?「不動明王」と津波災害との意外な関係とは何?「荒浜」と津波。島が瞬時のうちに海底へ沈む謎とは何か?津波災害より逃れるヒントとしての文化とは?本当は怖い羽衣伝承、浦島説話!!死者の国「龍宮城」は実在した!江戸時代の「命山」が現代に復活。江戸時代初期には既に存在していた、高度な治水対策の数々!各地に残る日和山の謎とは?画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:385ページ 価格:4,341円(税込) ご注文は下記より
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⑦日本語と日本文化の歴史基層論 ~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~
外国人が苦手な日本語って何?留学生に知って欲しい日本のこととは。インターネットもマスコミも存在しない昔の日本。人々は生活に必要な情報をどのようにして得ていたのであろうか?「~らしいよ」という表現法は、実は「命がけ」!!それは自己保身と危険回避のために行なっていた日本人の基本的スタンス?そして、なぜ日本人は「の」を多用するのか?どうして、人間ではない山や川、船舶、梵鐘等の自然地形や事物に人名の様な名称を付けるのか?物にも霊力を認めていた昔の日本人の姿とは、どの様なものであったのか?物語の登場人物や作者、読者を供養するとは一体どういうこと?日本語、日本文化、そして、日本人にまつわる言語文化や歴史の話題を分かりやすく解説。カラー大画像データも満載。中学生以上向き。国語学習、社会文化史学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:238ページ 価格:2,999円(税込) ご注文は下記より
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⑧災害対処の文化論シリーズ Ⅵ 韓半島における災害情報の言語文化
~倭国に於ける災害対処の文化論との対比~
韓半島地域を対象とした災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。倭国へ漢字を公伝させたとする、隣地、韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないですが、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測されます。その中においても、様々な災害記録が残されているのです。そうした自然災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、日本へも影響を与えていたのでしょうか。本書では、そうした問題視角より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものです。具体的には、1145年、高麗の仁宗(17代)の命に依り、金富軾等19名の史官等が編纂、担当し、進上したとされている「三国史記」を素材として取り上げながら、自然災害関係記事の内容、編纂意図や位置付けをも、言語文化、文化論の観点より探りました。各記事の内容分析に際しては、地盤に関わる災害、気象災害、天文現象、その他に類別し、当該記事に記載された現象自体に対する追究、それが記事として登載された意義に関しても検証作業を実施しています。天文現象と災害との関係とは?韓半島で一番多く発生していた自然災害は何?日本を災害発生と関連付け、警戒し、敵対するようになっていたのには何と2,000年もの長い歴史があった!!!こんな疑問を分かりやすく解説!!中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:317ページ 価格:3,671円(税込) ご注文は下記より
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⑨災害対処の文化論シリーズ Ⅶ 韓半島における災害情報の言語文化
~三国遺事にみる災害対処の文化論~
「三国遺事」は、新羅国、高句麗国、百済国に関わる古記録、伝承等を収集、編集し、そこに就いての遺聞逸事を記した書物です。高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206年~1289年)に依り撰述され、一部分はその弟子であった無極が補筆したとされています。全5巻より成る一然禅師晩年の作です。ただ、その内容には先行する「三国史記」(1145年)を大いに参照した形跡があり、決してオリジナル性が高いとも言えません。正史である「三国史記」を日本に於ける「日本書紀」、後発の「三国遺事」を「古事記」的な立場に位置付ける見解もあります。本書では、この様にして成立した「三国遺事」に記された、自然災害、人為的災害関係記事の内容、その編纂意図や位置付けをも、言語文化、「災害対処の文化論」の視角より探ってみました。その際には、上で確認をした、編纂物としての本書の特徴、特質、仏教との関係性に関して十分に留意をしました。各記事の内容分析に際しては、地盤に関わる災害、気象災害、天文現象、その他に類別し、当該記事に記載された現象自体に対する追究、それが記事として登載された意義に関しても検証作業を実施しています。仏説と災害との関係性とは?嘘のような本当の話の中に秘められた災害事象とは何か?ウイルスも鬼の仕業?仏教の正当性を主張する為に利用された災害の数々!こんな疑問を分かりやすく解説!!中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:252ページ 価格:2,980円(税込) ご注文は下記より
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⑩災害対処の文化論シリーズ Ⅷ 日本の古典に見る災害対処の文化論
~日本的無常観の形成~
作品としての日本の古典に見る対災異観、対自然観を、具体的な事例を取り上げながら取り扱ったものです。平安時代~鎌倉時代にかけての人々が、何を怖いものであると感じていたのか、何を忌むべきものであるとしていたのか。また、年中行事にはどの様な意味があったのか。それらを調べることによって、危機管理の在り方が浮かび上がってきます。この本では、竹取物語、伊勢物語、土佐日記、古今著聞集を素材として取り上げました。竹取物語と富士山に隠された意外な関係性。数字の「3」の謎とは?謎の呪法「天の逆手」とは何か。井戸に吊るされた正月に飲むお屠蘇のなぜ。鬼よりも怖い海賊の恐怖!!目には見えない「モノ」への対処法とは?土佐日記を書いた紀貫之の悲しみとは?幻覚の恐怖と孤独。人による里山への進出と動物たちとの軋轢。元々日本にはいなかった猫!こんな疑問を分かりやすく解説!!カラー大画像データも満載。中学生以上向き。国語・日本文化学習、防災・災害学習、講演資料等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:306ページ 価格:3,731円(税込) ご注文は下記より
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⑪災害対処の文化論シリーズ Ⅸ 日本の古典に見る災害対処の文化論
~「今昔物語集」の霊鬼~
奈良時代を経過して平安時代に入ると、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対災異観、対社会観の表出が、日記、古記録や文学作品等を中心として見られる様になって来ます。本書では、日本に於ける対災害観、対災異観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」―「今昔物語集」をその素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものです。作品としての文学、説話の中に如何なる対災害観、対災異観の反映が見られるのか、あるいは、見られないのかに関して、追究を試みたものです。ここでは日本人と日本文化の基層に迫ります。説話ごとに項目をたて、画像データも豊富に掲載。分かりやすい内容です。中学生以上向き。社会文化学習や講演の資料としてもご利用いただけます!!
また、本文で使用しております活字のサイズは、12ポイント(見出し等は14ポイント)で、通常よりちょっと大きく、とても見やすくなっております。
版型:B5版 ページ数:274ページ 価格:3,410円(税込) ご注文は下記より
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お使いのパソコンによっては、販売ボタンが作動しない場合もあります。販売画面に切り替わらない場合には、誠にお手数をおかけいたしますが、下記サイトよりお願い申し上げます!!更に詳細な説明文と画像をご覧いただくことができます。検索エンジンに下記URLをコピペしてご利用ください。なお、スマートホン等よりは、販売ボタンをご利用いただけます。
韓半島と越国:
https://www.seichoku.com/item/DS2004626
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災害対処の文化論シリーズⅠ:
https://www.seichoku.com/item/DS2003169
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災害対処の文化論シリーズⅡ:
https://www.seichoku.com/item/DS2004491
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災害対処の文化論シリーズⅢ:
https://www.seichoku.com/item/DS2003661
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災害対処の文化論シリーズⅣ:
https://www.seichoku.com/item/DS2003726
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災害対処の文化論シリーズⅤ:
https://www.seichoku.com/item/DS2001657
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日本語と日本文化の歴史基層論:
https://www.seichoku.com/item/DS2005331
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災害対処の文化論シリーズⅥ:
https://www.seichoku.com/item/DS2001864
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災害対処の文化論シリーズⅦ:
https://www.seichoku.com/item/DS2001695
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災害対処の文化論シリーズⅧ:
https://www.seichoku.com/item/DS2004209
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災害対処の文化論シリーズⅨ:
https://www.seichoku.com/item/DS2005206
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電子書籍について;
以上の作品は、電子書籍電子版、電子書籍製本版です。電子版は印刷、製本、配送費用が不要なので、お得にご覧いただけますし、今すぐに読むことができます。製本版はオンデマンドにより、ご注文を受けてから、1冊単位で印刷、製本し、ご指定の場所まで直接配送するものです。通常、お申込みより3日~8日でお手元に届きます。何れも随時、最新の知見を反映させるため、内容の更新を行なっておりますので、お手元にお届けするのは最新版となります。一般の書店では手に入れることのできない限定品です。ご購入代金のお支払いには、クレジットカード決済、コンビニ決済、電子マネー等がご利用いただけます。製本版は、B5版(版型)、無線綴じ・左綴じ、カラー印刷(大型画像とも)、ホワイトしらおい(本文用紙)、表紙カラー&ラミネート加工なし(用紙:硬め)の装丁となっております。また、本文で使用しております活字の大きさは、12ポイント(見出し等は14ポイント)で、とても見やすくなっています。通常の書籍では、活字の大きさは、10.5ポイント~11ポイントです。
戦国時代に関する著作:
越後上杉氏と京都雑掌(ざっしょう) 戦国史研究叢書13
出版社:岩田書院 発行:2015年5月 価格:9,504円(税込)
版型:A5版 ページ数:357ページ
内容:
戦国大名上杉謙信に至る北陸の勇、越後上杉氏。軍事力や経済力だけではないその強さは、京都を舞台とした外交交渉の場でも発揮されていた。上杉氏と契約を交わした異色の在京武士神余(かなまり)氏による、したたかな交渉術の数々。情報戦の重要性を認識していた上杉氏が京都で展開していた立ち回りの様子を、分かりやすく解説!!外交官武士とは、どのような侍であったのか?神余氏が戦国の京都で見た景色や夢とは、一体どの様なものであったのか?好評発売中!!
ご購入は、一般書店、各販売サイトまで!!
著者のhitokoto日記:
先日、北海道の河川で、鮭の不法漁獲行為があったというニュースが報じられました。そこまでならば、日本のあちこちでも見られる不法行為(密漁)と言うことなのでしょうが、それを行なったのが、今回、アイヌ人(の末裔)ということで、物議を醸しました。彼らの主張の根拠は、後からやって来た「和人(わじん)」の指示は受けない、というものです。北海道の振興局職員が、事前に制止したにも関わらず、受け入れてはもらえず、結果として水産資源保護法違反に問われてしまったとするものです。ここでは、その是非に就いて論じようという訳ではありません。抑々、「日本(倭国)」の版図は、奈良時代当初を基準に考えてみても、現在の東北地方を除く本州、四国、九州中部以北、並びに、これらに附属する島嶼群でした。平安時代に入り、延長5年(927)に完成した「延喜式 卷十六 陰陽寮」には、儺(だ)祭(鬼遣い、節分の起源)の執行に際して、陰陽師が進読する祭文の詞の中に、「穢惡伎疫鬼能所所村々尓藏里隱(カクリカクラ)布留乎浪。千里之外。四方之堺(ホトリ)。東方陸奥。西方遠値嘉(五島列島の福江島の古称)。南方土佐(左)。北方佐渡與里乎知能所乎。奈牟多知疫鬼之住加登定賜比行(マケ)賜氐」という文があります。これに従うならば、少なく共、10世紀に入った段階では、疫鬼の存在を認めないとする日本の王権が支配した領域の限界が記されています。東方の境界は陸奥国(東北地方の太平洋側地域)、北方は佐渡国(新潟県)、南方は土佐国(高知県)、そして、西方が遠値嘉(長崎県五島市)であるという認識を示しています。日本の古代以来の国家としての政策は、こうした日本の既存領域を周辺地域へと拡大させて行くことでした。つまり南進、北進とが、王権に依る重要政策としてあったものと見られます。そうした地域の居住民がこれに従わないのであれば、軍事力の行使をも厭(いと)わないという考え方でした。そこには、中国王権を模倣して来た小中華、小宇宙としての島国日本の在り方が反映されている様にも見られます。こうした思考は近世、近代まで、継続的に行なわれ、紆余曲折はあったものの、結果として、沖縄県の与那国島から北海道の宗谷岬までが日本の領域となりました。つまり、「日本人」と「日本民族」という語に就いて検討した場合、日本では上記の版図拡大政策、そして、古代以来続いて来た多くの渡来人の流入(日本が招請したものと、そうではないもの。移住民。漂流民等)もあり、人類学的な形質をも含めて、「日本人」(日本居住民。日本国籍を持った人)は現在でも多く存在するものの、「日本民族」の方は恐らく、長きに渡る混血の影響に依り、1人も存在してはいない可能性も想定されます。無論、「民族」の語には多様な定義がありますが、「一定地域で共同の生活を長期間に渡って営み、その社会への帰属意識を共有する集団」を適用するならば、「日本民族」の方も、皆無ではないのかもしれません。「多様性を受け入れ、理解すること」が異文化理解の基本であるとするならば、日本の中に存在する、歴史的経緯よりの異なった文化や、それを継承している人々に対する理解や寛容性、そして、権利の保護がもっとあっても良いのかもしれません。(2020年8月24日)
新型コロナウイルス(疾患名称:COVID-19、ウイルス名称:SARS-CoV-2)の拡散が日本国内でも中々終息に向かいません。内閣官房「新型コロナウイルス感染症対策」においても、「不要不急の外出及び「三つの密」(①密閉空間、②密集場所、③密接場面)が重なる状況を避けるようにし、自己への感染を回避するとともに、他人に感染させないよう徹底しましょう。」と広報されています。いわゆる、「三密」を避けてください、ということです。ところで、この場合の「三密」は造語として使われている新しい言葉ですが、元々存在していた「三密」の語はちょっと違った意味合いで使われていました。朝鮮半島・韓半島における記録書(仏教説話集)である「三国遺事」の巻五に記された「惠通降龍(龍を退治した)」の逸話では、「憤悱(ふんぴ。口には出さないが、もどかしくて心中では憤ること)立於庭。頭戴火盆。須臾(しゅゆ。本来はインドに於ける時間の単位。暫くすると)頂(頭頂部)裂聲如雷。藏(無畏三蔵)聞來視之。撤火盆。以指按裂處(指で傷口を撫でた処)。誦(となえる)神咒(しんじゅ。霊妙な呪文)。瘡(切り傷)合如平日(元通りになった)。有瑕(きず)如王字文(王の字の様な形状であった)。因號王和尚」と書かれています。つまり、中国真言密教の確立者であった無畏三蔵に入門を果たしたいと願っていた新羅僧恵通が、なかなか願いを聞き入れてもらえなかったために、キレてしまったというものです。彼は頭上に火鉢を乗せ、暫くすると頭頂部が雷の様な音と共に裂けてしまった。普通の人ならば、即死してしまう状況ですが、無畏三蔵は、恵通の裂けた頭頂部の傷口を指で撫で、神咒を誦えた処、傷口は元通りとなり、そこに王字文の残されたことが、王和尚とした恵通の別名の由来であるとしているのです。ポイントは、神咒を誦えた後に、傷口が治癒したとしている処です。神咒には、科学ではない霊妙な言語に依る医学の力が宿っていたことになり、それは、「三密(さんみつ)」の語で表わされる、仏教上の理想的行為に基づくものであったらしい。三密とは、秘密の三業(さんごう)のことであり、それは身(しん)、口(く)、意(い)に依り行なわれるもので、密教に於ける身密(手に印を結ぶ)、語密(口密。口で真言を唱える)、意密(心密。心で本尊を観念する)に相当した。これらは仏や衆生の身体、及び、言語、心に依って行なわれるものなのです。続きは、『災害対処の文化論シリーズ Ⅶ 韓半島における災害情報の言語文化 ~三国遺事にみる災害対処の文化論~』でどうぞ!!(2020年4月16日)
新型コロナウイルスの拡散が全世界的に深刻な状況となっています。特に、米中の間では、その発生や対処を巡り、非難の応酬もありました。アメリカのトランプ大統領は、この感染症を「中国肺炎」と呼び、一方の中国では、このウイルスをアメリカ軍が武漢に持ち込んだ、などと主張して譲りません。この期に及んで、とても生産性のある話ではありませんが。ただ、トランプ氏が「Virus」の語を「バイラス」と発音するのは、日本人がウイルスと発音するのに比べて、正確なのかもしれません。ところで高麗王朝期に、一然という僧侶によって作成された、「三国遺事」の「密本摧(くじく、くだく)邪」という逸話の中には、細菌やウイルスによるものと見られる感染症の話が出てきます。そこには「毎見一大鬼率群小鬼來。家中几有盤肴、皆啖嘗之」と記されており、家の食品に群がる大鬼と小鬼の様子が描写されています。そして、その直前に記された「阿孩時。忽口噤體硬。不言不遂」(乳児であった時、急に喋ることができなくなり、体が硬直し、成長が止まった)とした記述からは、乳児ボツリヌス症の発症が疑われるのです。乳児ボツリヌス症は、生後12か月未満の乳児がボツリヌス菌芽胞を経口摂取した場合、乳児の消化管内で増殖した菌に依って産生されたボツリヌス毒素が作用し、発症するとされています。乳児ボツリヌス症が発症する原因飲食物として明らかとなっている食品は、蜂蜜です。日本では、1986年~2017年2月間の症例では、36事例が認められています。乳児ボツリヌス症では、便秘、元気が無い、母乳を飲まない、泣き声が小さい、瞼(まぶた)が垂れ下がる、首がすわらなくなる、そして、腕や足へ左右対称の麻痺が進行すると、くにゃくにゃとした状態になるとされています。呼吸を行なう為に必要な筋肉迄、麻痺すると、人工呼吸器に依る治療が必要な場合もあるものの、現在では、対症療法が功を奏した場合には、乳児ボツリヌス症の経過は良く、アメリカに於ける死亡率は1パーセント以下であると報告されています。古代社会における乳幼児の死亡率の高さとは、医療環境の未整備、衛生意識の低さという当時の社会的な状況だけではなく、こうした(不衛生な)食品や飲用水等に起因した事例よりも窺うことができます。見た目や、臭いだけからの情報では、それが飲食可能なのか、否か、判断することが難しかったことも考えられるのです。人に害悪や災異をもたらす恐ろしい存在は、古来、半島でも日本でも中国由来の「鬼」として認識されていました。現在では、何でもない疾病でも、当時としては命に関わる重大な疾病であったことが想定されます。(2020年3月24日)
5月1日には通常改元され、前日から大晦日、お正月騒ぎの様な社会の様相でした。三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)を除く八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)も、ご本人の目前で無事に継承されました。本当に、箱の中に何かが入っているのかどうか、ほとんど誰も見たことが無いとされています。天皇でさえ、中を開けて見ることはないとされます。今後、10月22日(火曜日。今年のみの臨時祝日)には即位式に当たるセレモニーがあり、11月14日~15日にかけては、即位に関わる最大で最重要の行事である大嘗祭(だいじょうさい)が天皇自身により執行されます。日本文化、日本人、そして、日本自体の根源にも密接に関わる最重要の祭儀であり、核心部分には口伝・秘儀の大原則があります。学説や推測は色々とありますが、実際に、皇居に仮設される悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)内において、何が行なわれているのかは、釆女(うねめ。女官)が2人補助を行なうものの、歴代天皇しか知りません。無論この祭儀は、毎年11月下旬に行なわれる新嘗祭(にいなめさい)の延長線上に考えられますが、全く同一の内容、目的を持った祭儀では無いと推測されます。建物内部には、真床覆衾(まとこおうふすま)が設けられているとされます。衾とは寝具です。毎年の新嘗祭の中心は穀霊の慰撫とその霊力の取り込みですが、大嘗祭では、それに加えて、女神アマテラスを中心とした神々と今上天皇との関係性が問題となります。真床覆衾はアマテラスたちが降臨する為のものであり、新天皇はその霊力を体内に入れ、更には太陽神と合体するのではないかとする見解もあります。そうして霊力を得た新天皇はこの地上の支配に臨むのだと。いささか前方後円墳的なものの見方かもしれませんが。勿論、穀霊の慰撫と言う観点よりは、新天皇と神々との共食も大きなポイントとして位置付けられます。なぜ、伊勢神宮が外宮と内宮とに分かれているのかを考えるならば、その理由は自然と浮かび上がってきます。朝鮮半島の記録書「三国史記」に見られる「嘉禾(かか。禾は稲)を献ずる」祭儀が新嘗祭、大嘗祭の源流であった可能性に就いても考える必要性があるものと考えます。大嘗祭は、ヤマト王権以外の王権が分立・支配をしていた古代以前の時代に於ける日本のあり方、ヤマト王権による日本支配の拡大とその正当性主張とをうかがわせる、天皇代がわり最重要の行事であることに変わりはないものと考えられます。(2019年5月25日)
いよいよ改元手続きが本格化しました。新元号(年号)も「令和」と発表されました。ところで、これまでの日本の元号の内、「和」の語は、承和、仁和、正和、文和、明和、昭和などの様に、とても多いのですが、「令」の語の方は、1つも使用されてはいません。「令」の語自体は、律令や近江令、令集解、勅令、令外官、県令、等のように、日本史のテキストでは良く見る事ができます。それでは、この馴染みのある語が、なぜ、元号の文字としては使用されなかったのでしょうか?偶然そうなった、ということも考えられますが、「令」の語の頻出性からは、その仮説は否定されるのかもしれません。これは推測ですが、上記で挙げたように、「令」の語は法令や職制と関わり合いが深い為に、元号を構成する語としては避けられて来た可能性があります。それから、「令」の語には立派だ、好ましいという語義が存在する一方で、命令するとか、他者に対して「~をさせる」といった使役の意味、用法もあり、元号には馴染まないと考えられて来た可能性も考えられます。更に、音韻の観点よりは、「令」(れい)が「霊」や「零」に通じることから、相応しくない、と判断された可能性があります。「死」が「四」と音が通じる事から、部屋番号や、駐車場の番号には使われないことが多いことと、同じ理由です。しかしながら、それ故に、現代社会では目新しさも感じ取ることができ、新しい時代には、却って、相応しいのかもしれません。何れにしても、令和時代が平穏で、平和な時代になることを願うばかりです。(2019年4月4日)
今日で東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生より8年目となりました。日本列島は南北方向に細長い形をしていますが、「地震」に限定して見た場合、日本海側地域と太平洋側地域とでは、前回に発生していた大きな震災と、今回の大きな震災との時間的間隔、いわゆる、「間災期」の長短は決定的に大きく異なります。後者では、それが著しく短く、今、生きている人が複数回もの被災(地震、津波による被害)をしてしまうということもあります。この様なことは、前者の地域ではあり得ません。恐らく、前者での「間災期」は500年以上(文献史学分野よりの検討)、後者では数十年です。そうであるとするならば、太平洋側地域では、前回の被災体験を、被災者本人より、次代の人へ直接的に語り継ぐことが可能となります。実際に現代の「語り部(かたりべ)」として、自らの被災体験を伝える活動をしている方もおられます。しかしながら、その手法をも含めた、地震・津波の碑、「自然災害(震災)遺構」、標語的手法といった、被災情報の次世代への伝承方法の何れもが、太平洋側地域に於いて採用されているものであり、日本海側地域では、ほとんどと言っても良い程、見られません。日本海側地域では、「間災期」が余りにも長い為、そうした手法が有効に機能してはいないのです。そのことは、日本海側の地域に於いて、複数の道府県に渡る様な、広域的な地震、津波災害が発生していなかったことを意味してはいません。実際、山形県鶴岡市湯野浜地区に於いては、標高約37.9メートル地点での津波遡上痕跡が検出されているのです。この高さは、東日本大震災時に於ける津波遡上高(岩手県宮古市田老地区で約37.9メートルの津波遡上高が確認された)と変わりがない高さです。即ち、かつての海底地震に於いて、日本海側地域にも、高さ20メートルを超える様な大きな津波(岩手県大船渡市では高さ約23.6メートルの津波が確認された)が襲来していたことになります。良くも悪くも、日本人の感性として、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というものがあります。古来、自然災害が多発していた日本では、早く次のステップに踏み出す必要があったのです。その自然環境の違いより、日本人の感性は東アジア某国の様に、絶えず歴史を引き合いに出すそれとは明らかに違います。朝鮮半島も、東南部では中規模地震が発生したりもしますが、それを除けば、震災は非常に少ないのです。(2019年3月11日)
謹賀新年!!本年の皆様のご健勝、ご多幸を祈念申し上げます。ところで、明日正月七日は「七草粥」の日です。スーパーマーケットやコンビニエンスストアーでは、既にパックへ詰められた七草粥セットが販売されています。私の家でも、神奈川県三浦半島産のパックを購入しました。そこで一般的には、今日の夜、「まな板打ち」を行ないますが、その際に歌われる囃し歌の中に「唐土の鳥が渡らぬ先に~」という一節があります。唐土、即ち、西方より渡って来る鳥が日本に来ない間に、七草粥の準備をしてしまいましょう、と言うものです。ここで出現する鳥とは、単なる渡り鳥では無く、疫病(伝染病)を日本列島にもたらす鳥類であるものと推測されます。つまり、高病原性鳥インフルエンザに罹患した鳥類が日本に渡って来ることを、昔の日本人は既に知識として持っていたことになります。日本や朝鮮半島の人々にとって、西の方角性には非常に大きな意味がありました。そこには、中国大陸が広がり、良いものも、悪いものも、そこからやって来たからです。日本において、地蔵を西向きに置く慣習(西向き地蔵)があるのも、その方向よりの鬼神の侵入を阻止したいという思考によるものです。日本人にとって、鬼門である東北方向と共に、西の方角も又、警戒するべき方角観であったのです。その名残が「七草粥」の習俗の中にも、見て取ることができます。(2019年1月6日)
今年も残り僅かとなりました。今年は、「平成最後の年」が合言葉のようになっていました。確かに来年の5月には、御譲位に伴う「改元」が実施され、昔風な言い方では、「人心が一新される」筈です。教科書に載っていた「一世一元の制」との整合性も取り沙汰されてはおりますが、それが良い方向へと向かうことを祈念致します。また、来秋には皇室神道最大で、最重要な祭儀である「大嘗祭(だいじょうさい)・大嘗会(だいじょうゑ)」が執行されます。これもまた、現在の憲法の下での政教分離、信教の自由原則との整合性が課題となるのかもしれません。この祭祀は、朝鮮半島に於ける記録書である「三国史記」にも記載のある、「嘉禾(かか)を献ずる」祭儀が、1つの源流として想定されるのかもしれません。大嘗祭の核心的な部分は秘儀であり、口伝に依ります。しかしながら、それが「米」や穀霊と密接な繋がりのあることは、推測することが可能なのかもしれません。(2018年12月19日)
本日は、平成23年(2011)3月11日発生の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)より、丁度、7年目の日でした。皆様、その時刻には合掌をなさったものと想定します。私も、自分の書く文章の中では、「想定」という語を好んで使います。それは、対象が人文科学だからです。人文科学だから許されるのです。これが自然科学では、状況は違います。少なくとも、地震や津波の同規模での再現実験や検証が出来ない以上、理屈上では想定も出来ないことになります。もし、想定が出来たとするならば、それはデータとして存在するだけの、「机上の空論」、「砂上の楼閣」であるのかもしれません。自然科学分野でも、想定が可能となるのは、地震や津波の発生そのものを、科学の力で制御出来た日となるでしょう。東京電力ホールディングスは、今でも「想定」という語を比較的多く使います。福島県沿岸域に押し寄せる津波の遡上高を想定することが出来なかったその企業がです。自然災害は、無ければそれに越したことはありませんが、残念ながら、日本に於いては、ほとんどの自然災害発生を、今日的科学技術の力を以ってしても、抑えることは出来ません。そうであるとするならば、抑えることが不可能な自然的事象に対して、勝手に「想定値」を設定し、それらに対処しようとする姿は甚だ滑稽であり、ナンセンスでもあり、全く意味をなしません。現段階では、災害に繋がり得る自然的事象に対しては、遊びの部分を広く確保し、謙虚な姿勢を取る事こそが、次の災害の防災、減災に繋がるという認識を持つべきでは無いでしょうか。次の大きな自然災害の準備は既に開始されています。(2018年3月11日)
2月7日と14日の2回に渡り、新潟県柏崎市主催のシニアカレッジで講師を務めました。当地の来歴を解説するもので、私は古い方の時代を担当しました。当市は決して新しい街では無いのですが、何故か、古いものが余り残存してはいません。その理由は、昔より、北前船の寄港地であったからとか、最近では、原子力発電所の立地点で、人の出入りが激しいから、などど片付けられてしまうことも多いのです。しかし、北陸、新潟県域を含めて言えることなのですが、「西方」よりの文化の影響が非常に大きいということです。当市で発掘調査された「西岩野遺跡」は、弥生時代後期の環濠集落跡で、方形周溝墓よりは、主要被葬者として、女性の遺体が出土しました。つまり、当地にも邪馬台国の様な「クニ」が存在し、そのリーダーとして、卑弥呼の様な女性首長がいたのかもしれないのです。しかも、それは日本海側最北端に位置していたことになるのです。倭国の北限がどこまでであったのかを探る上で、重要なヒントを与えてくれる可能性がありそうです。そこで、彼らが一体、ここで何をしていたのかが問題となりますが、「海人(あま)」集団に依り、西方より持ち込まれた稲作(苗代方式)や製鉄に従事していた可能性が濃厚であると推測をしています。(2018年2月14日)
最近、中央構造線に沿った地域での地震が見受けられます。豊後水道、愛媛県南予、徳島県南部、淡路島、紀伊水道、和歌山県北部、そして、地震のイメージがあまり無い奈良県など。歴史的には、文禄5年(1596)閏7月9日の大分県別府湾付近(M7.0)、同13日の京都・奈良付近(M7.5)を始まりとした、いわゆる一連の「慶長地震」を想起させます。前者は「瓜生島沈島伝説」を生み、後者の地震では、豊臣秀吉は京都南部にある伏見城内で死にそうになりました。この地震発生の9年後、慶長9年12月16日、千葉県~九州までの沿岸部地域に大規模な被害を与えた地震(M7.9が2回)が起こりました。連動地震ではないかとする説もあります。更にこの6年後、今度は東北地方~北海道沿岸部地域が大規模に被災した「慶長の三陸沖地震(M8.1)」が発生します。慶長年間の直前に起っていた「天正地震(1586年、M7.8)」でも、東海・北陸・近畿地方は大きなダメージを被っていました。江戸時代幕末の「安政年間(1850年代)」に頻発した一連の大きな地震も民心を不安に陥れました、私的には、江戸幕府滅亡の時期を早めたものと考えています。慶長地震でも民心は動揺し、合戦の無い安定した治世を望む方向へ流れて行ったことは十分に考えられます。ごめんなさい!!大晦日にする様な話題ではありませんでした。ただ、「備えあれば憂いなし」、「治にいて乱を忘れず」です。新しい年、その様なことが起こらないことを願うばかりです。(2017年大晦日)
お正月飾りの「門松」がいつ頃、発生したのかは良く分かっていませんが、平安時代に行なわれていた「子(ね)の日の遊び」で採取された「根引きの松」が1つの起源である様に考えられます。松は常緑であり、生命力を表現するとも言われます。門松のもう1つの構成要素が竹です。こちらも、やはり青々としており、生命力を象徴するとされます。門松にセッティングされるこの2つの植物には共通点があります。門松に飾られる竹は、通常、先端部分を斜め切りにし、鋭利にして上を向かせます。松葉も先端は鋭利です。鋭利なものを苦手とする存在は「鬼」です。年末に柊(ひいらぎ)を飾る習慣も、家内に鬼が侵入しない様にとの、年末の年中行事「鬼遣(おにやらい)」に因みます。中国風には、「追儺(ついな)」です。従って、「鬼遣」は必ずしも大晦日の行事ではありませんでしたが、その後、日本社会では旧暦の大晦日の行事、節分へと転化しました。元々、中国では「儺(だ)」には夏の儺と冬の儺とがあり、夏に行なわれた儺は皇帝専用で、庶民には認められませんでした。恐らく、追儺は奈良時代~平安時代にかけての時期に日本へ伝播し、一旦、宮廷行事として整えられます。いつ頃それが民衆の間で実施される様になったのかは不詳ですが、京都相国寺の瑞渓周鳳に依る記録である、「臥雲日件録(がうんにっけんろく)」では、1400年代前半期には、熬(い)った豆を使用した豆撒きが、立春前日の夕刻、臨済宗相国寺の中で、鬼払い行事として行われているので、室町初期頃ではないかと推測されます。「門松」の話しに戻りますが、それが現在の様なスタイルに整えられたのは江戸時代に入ってからであると考えられます。そもそも、真竹にしても、孟宗竹にしても、「竹」が元々、日本の固有種であったとするのには異論があります。米や茶の様に、中国、半島より持ち込まれていた可能性も排除することは出来ません。例えば、鯰(なまず)も、元々は日本に生息してはおらず、大陸より持ち込まれた動物であるとする説が有力です。中世まで、鯰は琵琶湖以東にはいませんでした。江戸時代になって、人為的に関東へ持ち込まれて繁殖しました。平安時代には、蒲鉾の主原料は鯰などの川魚でした。「鬼」自体も中国より伝来した思想です。奈良県桜井市にある「纏向(まきむく)遺跡」よりは大量の桃の種が出土しました。食用ではありません。鬼を駆逐する祭祀に使用されたものと考えられます。中国より伝来した鬼を、やはり中国より伝来した桃を使って駆逐したことになります。(2017年12月30日)
今年も。いよいよ終わろうとしています。ただし、韓半島北部地域を巡る政治、外交的な情勢は安穏の内に締め括られた、とは行かずに新年を迎えようとしています。北朝鮮籍の小型木造船や御遺体は、私の住む町の海岸へも度々漂着しています。当該木造船にまつわる内容に関しては、著書の中でも詳述しておりますので。ご興味があればご覧下さい。ところで、この課題を語る上で欠かせない存在が、今も昔も中国「王権」の在り方です。かつて、半島を舞台に繰り広げられていた新羅国、百済国、そして、直接的に大唐と国境を接していた、北方の強国である高句麗国。高句麗は、ほぼ現在の北朝鮮領域と重なります。西暦663年に発生した白村江の戦以降、倭国の覇権は半島より駆逐され、670年代前半期にかけての時期には、旧高句麗、旧百済領域に対する唐の触手が伸ばされ、軍事的侵攻、調略、そして、新羅国の文武王に対する「羈縻(きび)政策」の実施にも見られる様に、硬軟両様の政策を以って南下をして来ます。しかしながら、これに対して、新羅国も硬軟両様の外交政策も併用しながら接しましたが、最終的には軍事力(戦勝)で以って、大唐の半島への野望をくじきました。特に唐による「羈縻(きび)政策」は、直接支配方式や冊封方式での周辺国への影響力行使に際して、段階的に実施されて来た形跡も認められます。これは歴史上の話しだけではなく、今後に於いて、その形を変えながらも、沖縄・琉球に対する支配権の主張の中で復活する可能性があるかも知れません。来年も韓半島情勢とあわせて、南西諸島方面に対する興味も持ち続けていかなければならないのかもしれません。東アジア世界では、「力」の存在は不可欠です。そこには無論、軍事力も重要な素因として位置しますが、それだけではありません。経済力、教養に基づく熟達した交渉術、文化的な成熟度、情報の発信力、長期・中期での国家運営戦略の方針があるか、否かなど。この新羅国による対唐戦争の経緯は、韓半島情勢の今後を見て行く上で、一定の示唆を与えてくれるのかもしれません。(2017年12月26日)
昨日(12月1日)、皇室会議が開催され、今上天皇の御退位の日程が決まりました。なぜか、議長を務めた安倍晋三総理大臣は、ちょっと浮かない顔でした。平成年号も31年をもって終了することが決まったのです。ところで、近代以降の元号は「一世一元の制」により、1人の天皇治世で1つのものを継続使用することになっていますので、話は別なのですが、近代以前の元号は、必ずしも、そういう訳ではありませんでした。1人の天皇治世で、いくつもの元号を使用することは、寧ろ、普通のことでした。元号を変更する、つまり、改元(かいげん)ですが、「慶雲(けいうん)」(704~708)、「神亀(じんき)」(724~729)などの様に瑞祥に基づく改元もありましたが、自然災害等が契機となった「災異(さいい)改元」も多く行われ、1つの年号は中々長続きはしませんでした。極端な場合には、元年しかない、といった元号も結構多く存在していました。従って、近代以前に2けたにまで至った元号は、珍しいということができるでしょう。その様な中にあって、「応永(おうえい)」年号(1394~1428)は、なんと35年まで続きました。ちょうど、室町時代の前半期に当たり、京都に金閣(鹿苑寺)を創建させた将軍足利義満や義持、義量の時代です。この年号は、昭和(64年)、明治(45年)に次ぐ3番目の長さなのです。つまり、応永時代は、改元する必要が無い=平和な時代、であったことになります。自然災害等の発生はあったものの、政治的な情勢では、応仁・文明の乱の前の時代で、室町将軍の威令もそこそこ保たれていた時期だったのです。日本文化論としては、1つの年号の長さが、平和度と比例関係にある、と言うことができそうです。中には、「慶長(けいちょう)」(1596~1615)改元に直接的に反対の意思を表明し、抵抗した後陽成天皇の事例もあります。元号は、中国の故事より選択した2字の漢字により作成されますが、古代においては、漢字4字よりなる、「天平勝宝(てんぴょうしょうほう)」(749~757)、「神護慶雲(じんごけいうん)」(767~770)などの元号も5つありましたが、全て奈良時代のものでした。さて、西暦使用も普通である現在において、なぜ、元号が使用され続けているのでしょうか?その答えは、日本には、王統(天皇家)が存在し、内閣法制局の見解に従えば、日本の国家元首が内閣総理大臣ではなく、天皇であるとされているからです。王権はその領域にいる全ての人々に対して、自らの決めた価値体系(度量衡や時間、貨幣、法など)の使用を強制的に行なわせる存在である、換言するならば、それができなければ、王権としての存在価値はないからです。それ故、古来、王権が発行した貨幣の偽造などは、死刑をも含む重罪とされました。王の定めた価値領域を侵犯したからです。その意味において、中世以降に発生した「私年号(しねんごう)」の存在は興味深いと言えるでしょう。私年号を使用したからと言って、処罰されたとする明確な事例が無いからです。「年号・元号」とは、まさに王権による「時間の支配」を具現化したものでしょう。(2017年12月2日)
本日、「災害対処の文化論シリーズⅡ」を大幅にリニューアルして販売開始致しました。サブタイトルも「室町時代より江戸時代の地震災害と対処の生活文化」へ変更しました。後半部分に江戸時代の地震対処の様子を追加しました。幕末期に当たる安政年間は、大きな地震が多発した大変な時代でした。それが世直しの気運に拍車をかけ、遂には討幕に至る大きなエネルギーにも変わって行ったことが分かりました。「鯰絵」は幕府に依る出版統制が強まる中、どさくさに紛れて刊行されていた錦絵(浮世絵出版物)でした。さて、そこに描かれていたのは?(2017年8月12日)
平成29年6月、福岡県筑前町所在の中原(なかばる)遺跡に在る竪穴住居跡より発見されたクリーム色をした台形の石片が、弥生時代後半期のものと見られる硯片(ほぼ完品)であることが判明した。その大きさは、最大長約9.4センチメートル、最大幅約7.4センチメートル、最大厚約0.7センチメートルで、重量は約66グラムであった。当該石片には、その中央部に擦り跡と見られる窪みが認められている〔「新潟日報」(新潟日報社)、2017年6月25日付朝刊、31頁(社会)、「弥生時代のすずり? 4例目 福岡の遺跡で出土 倭人が文書作成の可能性」記事、参照〕。即ち、相当の時間、使い込んだものであったのである。又、端の部分約4分の1程が焼け焦げたように黒ずんでいる。中原遺跡は、既に硯片の出土している、同県糸島市の三雲・井原遺跡より南東方向へ約38キロメートル程度、内陸部分へ入った場所にあり、玄界灘にも程近いロケーションを持った三雲・井原遺跡(標高約40メートル)とは違い、その標高は約25.7メートルではあるものの、海岸線よりは遠く離れており、倭国外への対外交渉の他にも、倭国内部に対する交渉事も、文字、文章を使用していた可能性が示唆されるであろう。内陸部であるから、文字の扱いに慣れていた渡来人の存在が希薄であるということは出来ず、河道の変遷が想定されるとは言え、中原遺跡はその周辺部を流れる現筑後川や現宝満川等の河川交通路を使用して、直接的に内海である有明海にアクセスすることが可能な立地にあったのである。有明海に面し、そうした河川河口部に在った水門(ミナト)から、より大型の外洋航海型準構造船に乗り換え(物品を積み替え)、韓半島や中国大陸をも見据えた形での東シナ海航路が開設、運用されていたことも類推され、その意味に於いては、中原遺跡の場所は、何らかの製品や資源の供給地として、温暖で自然災害の影響も比較的に受け難いという、安定したその立地を生かしながら、文字文化を繁栄させていたことが考えられるのである。そこには、文字言語技術者、東アジア情報提供者としての渡来人の存在が濃厚であると見られるのである。倭国に於ける文字使用は、以上の様な考古学的、物理的な成果より、紀元前後に迄、遡ることの出来得る可能性を示しつつあるのである。(2017年6月25日)
今日は地域の神社総代の方々の集会で、1時間ほどお話をさせて頂きました。演題は「柏崎刈羽地域の神社と自然災害 ~寛治の越後国絵図の謎、そして寛治年間(1087~1094年)~」でした。「寛治の越後国絵図」に就いては偽書説もあり、その真偽のほどは判然としていません。ただ、そこに描かれた新潟県域の地形は、現在とは全く異なります。ほとんど平野部が無く、現在の平野部に当たる場所は全て海底です。そこがいつ頃陸地化したのかは、はっきりとしていません。しかし、平安時代中頃に発生していたとされる大規模地震、地殻変動などにより、海底が隆起し、一瞬のうちに広大な陸地が出現したとする伝承も存在します。恐ろしい話ではありますが、自然に対しては、人間による上限としての「想定値」の設定には意味がありません。(2017年6月18日)
当地、新潟県内でも、2月には「天神講」が行なわれます。つまり、菅原道真の命日に当たる、25日を記念した行事です。私の家でも、お雛様の様なたたずまいを見せる天神様像等、3体の人形(陶器製)を飾っております。その2月も今日で終わりです。さて、本日、「日本語と日本文化の歴史基層論~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~」を販売開始致しました。ぜひ、ご覧下さい!!日本語と日本文化の謎が満載です。(2017年2月28日)
謹賀新年!!
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年は、大きな災害が無い、良い一年になれば、と存じます。(2017年元旦)
昨夜、「電子媒体を使用した歴史学研究の可能性追究-柏崎市高精細デジタルアーカイブを事例として-」と題した市民大学特別講座・WEBミュージアム利活用講座を実施しました。意外なことに、受講者には、ご年配の方々、女性の方々が多く見受けられました。パソコンは中々に面倒だと思われるご年配や女性の方々が多いのかと思ったら、最近では、そうでもない様です。却って、地方だから、ご高齢だからこそ、インターネット、デジタルアーカイブの利便性が高いのかもしれません。高精細デジタルアーカイブは、非常に画素数の高いカメラで撮影をするので、文書にしても、立体感のある物にしても、最大限度に拡大をしても画面がとてもきれいです。その点では、画像資料を歴史学に止まらず、色々な分野の研究に供することが可能となり、情報の利用者としてはあり難い限りです。(2016年11月12日)
新潟県内でも、早いところで8月下旬には田の稲刈りをすることもあります。そうした田んぼでは、寒くなるまでに、かなりの時間的余裕がある為、一度稲刈りをした切り株より、再び青々とした稲が育ってきます。そして、10月も下旬になると、背丈30センチメートルぐらいに育った稲に、ちゃんとした稲穂が付いているではありませんか。勿論、これらのコメは収穫されることもなく、ただ、枯れて行くか、土に漉き込まれて行くだけです。こうした現象も、温暖化の影響でしょうか。ちょっと前までは、こうした光景を見たことはありませんでした。もう少しすると、新潟県でも、同じ株から、1年に2回、コメが収穫できる様になるのかもしれません。しかし、折角育った2回目の米、何とかならないものでしょうか?少し、可哀そうな気がします。
ところで、昨夜、市民大学講座、後期4回シリーズの最終回を行ないました。今回は、先ず「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の残りの部分と、聖武天皇期を中心とした災異観、疾病観をお話しし、「えやみの鬼、神」でまとめをしました。時間の配分が中々上手く行かずに、受講者の方々には、ご迷惑をお掛けしたことと思います。日本のあちこちにある八坂神社、祇園社がいかなる経緯で、全国展開して行ったのか、という話題に就いても解説をしてみました。(2016年10月28日)
新潟県立十日町高校で模擬授業を実施いたしました。テーマは「日本語の経緯(いきさつ) 四方山話(よもやまばなし)」です。時間は、90分間でした。高校の1コマの授業時間は50分ですので、聞いている生徒も大変だったのではないかと思います。また、ちょっと、歴史っぽい話になってしまったので、日本語の経緯とはイメージが違ってしまったのかもしれません。(2016年10月20日)
本年度、後期市民大学講座の第3回目講座を、今夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、今日も、前回に引き続き、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。そこで、古代の日本に於いて非常に気にされていたことがいくつかあります。その一つは、色彩に関わる認識です。古代日本では「白」こそが霊妙な色であり、特に地方の役人たちは、競って白い動物発見についての報告を都へ行ない、都人の歓心を買おうとしました。そこには陰陽五行説、陰陽五行色としての意味合いも、あったかもしれません。もう一つは、方角に関わる認識です。「日本書紀」には、方角に関する記述がたくさん記されています。その一つ一つには、そのことが実際に発生していた方向性を示そうとしていただけなのかもしれません。しかし、総体的にそれらを見た場合、そこには吉凶の判断や、政治・外交的な意図を読み取ることもできそうです。「地震波」のやって来た方向が分かった?というのは、すごいことだと思います。その真偽のほどは分かりませんが、古代日本人は、自然に対する感性がとても豊かだった様です。(2016年10月13日)
昨夜、市民大学講座の講師を務めました。いつもの災害対処の文化論シリーズとは違い、テーマは「日本酒の経緯と日本酒文化論 四方山話」でした。受講者の方々も、流石は酒どころの新潟県だけあって、酒豪揃い?です。米と水とを主原料として醸造される日本酒ですが、その醸造開始はコメの倭国への伝来以降であったものと、一般的には推定されます。酒には飲用用途だけではなく、祭祀や場の浄めといった目的にも使用されるという、神聖な側面もあります。日本酒も例外ではありません。日本酒と総称される酒ですが、古来より様々な製法や種類がありました。この講座では、そうした日本の酒の由来や文化を中心として、四方山話的に日本酒文化論を進めてみました。(2016年10月6日)
22日の木曜日に、NHK BSプレミアムの番組「英雄たちの選択」の収録作業を行いました。内容は、「上杉謙信による、究極の選択」、です。放送予定日時は、11月3日木曜日の20:00からです。どうか、ご覧ください。また、本年度、後期市民大学講座の第2回目講座を、昨夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、昨日も、前回に引き続き、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。昨夜は、神功皇后紀より清寧天皇紀にかけての部分を使用して、理解を深めました。古代日本人にとって、「白」という色彩感覚は、特別な意味を持っていたようです。前回の受講者アンケートでは、ちょっと難解、というご意見がありましたので、なるべく原文を読むことは止めて、最初から現代語訳をした文章で説明をいたしました。(2016年9月29日)
本年度、後期市民大学講座の第1回目講座を、昨夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、昨日は、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。この講座では、私が作成いたしました『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』(データ版、製本版)を使用しています。受講者アンケートでは、ちょっと難解、というご意見がありました。古代日本語が素材ですので、中々、分かり難いのかもしれません。(2016年9月16日)
残暑お見舞い申し上げます!!新潟県上越市が、上杉謙信の愛用刀「国宝 無銘一文字(山鳥毛)」を、約3億2千万円で購入することを決めたそうです。税金投入のほか、市民や事業所よりも募金を募るそうです。それはそれで結構なことだと思います。ただ、バブル期ならば兎も角も、今は公的機関が高額な美術品を購入、所有して、展示、管理する様な時代ではないのかもしれません。上越市長は、「ふるさとへの愛着と誇りが高まり、まちの活性化につながる」とおっしゃっているそうです(「新潟日報」8月24日付け朝刊より)。こうした美術品を、社会教育の一環として市民へ公開する方法は、購入してしまうのが手っ取り早いのですが、今回の様に億単位ということになってしまうと、そう簡単なことではありません。この刀は、現状、個人所有になっている様ですが、交渉次第では、地元の博物館・美術館等の施設で企画展・特別展を開催する際に、一定期間、拝借する方法もあります。また、一定期間寄託をしてもらって、市民へ公開する方法も考えられます。必ずしも、常設展示をする必要も無いのかもしれません。この刀も、元々は岡山市内の美術館に所蔵されていたものが流失し、現在は個人蔵でありながら、岡山県立博物館に寄託された状態となっています。「費用対効果」、という言い方もありますが、同額のお金があるのならば、地域に関わる課題解決に使用する方法も、あるのかもしれません。上記の電子書籍、製本版は、随時内容を更新し、最新の知見を反映させております。(2016年8月25日)
暑中お見舞い申し上げます!!今の処、予報されている程の猛暑?ではないようですが。もうあと一週間程で立秋です。暦の上ではもう初秋です。さて、「韓半島と越国 ~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~」と「災害対処の文化論シリーズⅤ ~ 浪分けの論理 水災害としての津波~」の内容更新を行ないました。一度、ご覧頂ければ幸いです。(2016年7月30日)
昨日、今上天皇が御退位の意向をお示しになった、との報道がありました。まあ、それはそれとして、客観的に見るならば、ご高齢のことでもあり、生きている人間としては納得の行くことなのかもしれません。しかし、それを国家の基幹に関わる制度として見た場合、非常に慎重にならざるを得ません。政府、与党の中にも天皇退位に対する慎重論はある様ですが、私もこの問題に対しては、或る程度の長い時間をかけて、じっくりと審議をするべきであると考えます。そもそも、原状では、天皇の職務の範囲は無用な程に拡大(解釈)されており、憲法や皇室典範に於ける本来の趣旨よりは、大きく逸脱している様にも見受けられます。天皇本来の業務とは、現代に於いては、宮中祭祀、並びに、行事を確実に執行しながら、それを後世に伝達することに尽きます。また、その血統を確実に次代へと繫げて行くことにあります。更には、自らが選択された学問領域に於ける追究を行なうことです。それが天皇家の存在価値であり、125代に至るとされる、王権に立脚した権威の源泉でもあります。
無論、憲法に規定されている一部、国事行為への関与も行なう必要はありますが、その中に、内外各地への御視察、被災地への御見舞い、御観覧、各種イベントへの御臨席、海外へのお出まし(いわゆる皇室外交)等が包括されるとは考えられません。即ち、現実的に発生している内外諸課題や各種の要請への対応は、第一義的には内閣、総務省、外務省等が担当をするべきであって、それらを天皇、皇族の業務に位置付けるべきではありません。日本国憲法の第1条~8条までは、その全てが天皇、皇室に関わる条文であり、それらが、仮に形式的なものであるにせよ、天皇には非常に大きい権能が付与されていることが分かります。それらは、内閣に依る助言や承認、国会の議決に基づくとはいえ、天皇、皇族の行為に関しては、その責任の所在は内閣に在るとされます。つまり、若し、現在行なわれているような、国事行為には属さないものと解される上記の行為に就いても、何らかの失敗が出来した場合、それは、一般論として、内閣の責任として処理されるということになります。因みに、憲法第8条までが天皇に関する規定であるというのには、古代日本に在っては、「8」が聖数であったこととの、関連性を想起させます。
現行憲法第5条には「摂政(せっしょう)」設置に関する規定があります。若し、天皇に病気、その他の障害が出来した際には、これを設置するべきであって、「退位」、で処理するべきではないと考えます。仮に退位で処理する場合、その判断は、いつ、誰が行なうのでしょうか?第一義的には、御本人と言う事にはなるのでしょうが、若し、それが恣意的な判断の許に行なわれた場合、それを阻止する装置は用意されているのでしょうか?歴史的に見るならば、天皇の退位、譲位は、その時々に於ける政治権力の意向や都合に依って左右されることが多かったのは事実でしょう。先日、参議院議員選挙が実施されましたが、そうした国政に関する自らの立場や権益を守る為に、悪意を持った内閣、与党が、「助言と承認」の手法を用いて、天皇退位を利用し、持ち出した場合、それをどの様にして阻止をするのでしょうか?取り分け、日本の皇室は、英国王室の様な独自の資産や可処分所得を持たず、その経費の全てを国費、即ち、税金に依って賄っていることも、そうした政治的介入に対しては、脆弱であると言わざるを得ません。また、天皇が退位した場合、歴史上では「上皇」となりますが、病状等が回復して、復活すること(重祚)は可能なのでしょうか?更には、いわゆる、「院」となられた前天皇が、比較的自由な立場を利用して、現天皇に対し、「院政」を行なう様なことは、絶対にあり得ないことなのでしょうか?
この問題を巡る課題は、皇室典範を改正するだけに止まらない、大きな問題を日本人に突き付けています。(2016年7月14日)
市民大学講座の第4回目講座を昨夜、2時間に渡り実施しました。市民大学前期4回シリーズの最終回に当たる本講座では、京都府、京都市内に所在する寺社、史跡等を中心として、小林が撮影をした画像をプロジェクターに投影しながら、レジュメを参照しつつ、実際の画像を見て「京都学」の学習を行ないました。それらは必ずしも観光地ばかりではないのですが、具体的には、鹿苑寺、慈照寺、御土居、丹後半島、晴明神社、八坂神社、清水寺、坂上田村麻呂の墓所、離宮八幡宮、大山崎山荘美術館、石清水神社、寺田屋、光悦寺、源光庵、御香宮神社、伏見稲荷大社、下鴨神社、蘆山寺、上賀茂神社、豊国神社、方広寺、耳塚、醍醐寺、大覚寺、野宮神社、二尊院、月の輪田等です。単なる観光案内に留まることなく、それらに如何なる文化的意味が有り、我々の生活文化へどの様な影響を与えているのかに就いても、分かり易く解説を行ないました。さて、災害対処の文化論Ⅱ、災害対処の文化論Ⅲ、データを更新致しました。ご覧頂ければ幸いです。因みに、今日は七夕です。日本の年中行事としては「乞巧奠(きこうてん)」です。すなわち、中国大陸より伝播した、牽牛、織女伝承が、平安時代に宮廷行事として整えられ、当初に於いては、女子が染色、楽器演奏、詩歌等の上達等を星に祈る「女子のお祭り」でした。残念ながら、新潟県では、今夜、天の川が見れそうにありません。(2016年7月7日)
市民大学講座の第3回目講座を昨夜、2時間に渡り実施しました。夜間にも関わらず、約50人の受講者の方々は、とても熱心に聞いて下さいました。テーマは「上杉謙信と京都 ―「上京(じょうきょう)」の源流! なぜ武士は都をめざすのか」です。京都は1,200年間に渡り、首都で在り続けたばかりではなく、武士、取り分け、戦国の大名にとっては、特別な意味を持っていました。その特別な意味や、彼らを引き付けたものとは、一体何であったのか。本講座では、室町・戦国時代の大名が上洛(上京)することには、如何なる経緯や政治的、文化的な背景があるのかを、受講者をも巻き込みながら、分かり易く解説を行ないました。特に、今回は、越後国の戦国大名であった上杉謙信、上杉氏を事例としながら、検証作業を進めました。途中では、ワイドショーで放映された、京都の老舗日本蕎麦店「尾張屋」さんの映像をも使用しながら、楽しく?講座を進めました。(2016年6月30日)
市民大学講座の第2回目を昨夜実施しました。テーマは「「ややこしい」人間関係 ―「行けず」な文化と侍の進出」です。京都に住む人々は、自らの殻に閉じ籠もり、取り分け、外部よりやって来た人々に対しては、閉鎖的な態度に出ることもあるとされます。そうした姿勢は、「行けず」という表現法で表され、時として、意地悪で、悪意を持ち、嫌な人々である、とした認識で、京都人以外の人々には受け止められることも有ります。しかし、それは本当なのでしょうか?色々と、横道にそれてばかりいて、半分ぐらいのところで、丁度、時間(講演時間2時間)が来てしまいました。残りは、また来週です。さて、共著書を出しました。タイトルは『古代史研究の最前線 日本書紀』(株式会社 洋泉社、定価¥1,600)で、私は第3章(『日本書紀』をめぐる諸問題)を担当致しました。宜しければ、是非ともご覧ください。(2016年6月23日)
市民を対象とした、市主催による、本年度前期市民大学講座がスタートしました。4回シリーズの初回に当たった昨夜の講座では、2時間に渡り、「平安京と京都 ―住めるわけがない、京都」というテーマで学習をしました。大学での、比較的若い人たちを対象にした授業とは違い、寝ていたり、スマホでビデオを見ている様な受講者はおらず、また、質問等もあり、講師の側としては、やりがいがあります。(2016年6月8日)
災害対処の文化論Ⅳ、データを更新致しました。ところで、6月30日は、大祓、茅の輪の祭り、夏越の祓の日です。私も、近隣にある弥彦(やひこ)神社より、紙製の人形(ひとがた)を送ってもらい、一連の儀式を行った後、同じ神社へ返送しました。初穂料も送金しましたし、あとは茅の輪が送られて来るのを待つだけです。お蔭様で、1年の前半期も、何とか無事に過ごすことが出来ました。(2016年6月5日)
昨年12月に開業した仙台市地下鉄東西線荒井駅の地上にあるロータリーには、浪分けの桜の木が1本植えられています。未だ植えられて間もない若い木ですが、当駅のシンボルツリーとして育っています。それは、当駅より南西方向に、約2キロメートルほど行った場所に在る「浪分(なみわけ)神社」にまつわるものとして、植樹されたといいます。浪分神社とは、仙台市若林区霞目にあり、江戸時代元禄年間に浪分大明神として、「その場所」へ創建されたとしています。「その場所」とは、「慶長の三陸沖地震」による津波が止まった場所、つまり、津波浸水線の表示であったのです。同社は結果として、その指標のために、後世の人々に対する警鐘として建設されたものであったのです。寺子屋などの教育機関も普及し、時期的には既に、文字認知も進み、庶民も読み書きができた時代でしたが、この浪分神社は、「見て直ぐに、誰でもがその危険性に気付く」ことを重要視した、一種の災害遺構の原型であるとすることがきます。また、本日は調査先の宮城県より新潟県へ、自動車を運転して帰る国道上で、対向車線(新潟県方面より)陸上自衛隊第6師団(山形県東根市)所属の車両と、恐らくは、200両程度すれ違いました。そして、途中の「道の駅いいで」では、休憩する隊員の方を見受けました。もちろん、熊本県への災害派遣の帰りの皆様です。大変、お疲れ様でした。有難うございました!!!(2016年5月1日)
九州中部に於ける震災発生に関しましては、心よりのお見舞いを申し上げる次第でございます。今回の地震では、震源部が熊本市付近より、徐々に東北方向へ移動している様にも、見受けられます。この地域よりは、歴史地震学的には、文禄5年・慶長元年(1596)閏7月9日に、東経131.6度、北緯33.3度を震央としたマグニチュード7.0の地震発生を想起させます。主な被災地は豊後国(ほぼ現在の大分県域)であり、この時の地震では高崎山が崩壊し、海水が引いた後に大津波が押し寄せ、別府湾沿岸で家屋流出等の被害を発生させた上、「瓜生島」の約80%が陥没して、死者708人を出したとされています。いわゆる、「瓜生島沈島伝説」の元となった地震です。丁度、時期的には豊臣秀吉の治世末期に当たります。エスパニャ商人アビラ・ヒロンに依る「転訛してハポンとよばれている日本王国に関する報告」の中には、当該地震や、その後に起こった被害に就いて、その正確さは留保するものの、一定の記述を残しています。その第六章(1596年)に依ると、「九月四日、非常に激しい地震が始まり、幾時間か続いた。その後弱まったり、強まったりして幾日か続き、こうして、強弱の差はあれ、毎日毎夜ゆれ止まなかった。それは日本全土にわたる地震であった。もっともところによって、他の土地より一層はげしく、被害を被るということはあったが。なぜなら、日向の国(豊後国の誤り)では、上浜(Humfama)という一つの町は水びたしになって、人家は跡形もなくなったばかりか、その後海まで湖ができたので、そこを船で往来したし、現在も船が往来しているからである」として、豊後国上浜(沖の浜)が当該地震の発生に依って海中に没し、その後に於いても、陥没した陸地が回復することが無かったことを記す。但し、現在、この沖の浜に該当する地区は見当たらないとされるので、当該地震に依って陸地先の津であった沖の浜は水没し、その後に於いても、回復することも無かったのであろう。尚、詳しくは、上記③「災害対処の文化論シリーズ Ⅱ ~室町~織豊期の地震災害と対処の文化~」をご覧ください。(2016年4月16日)
旧暦の4月8日は、日本の年中行事的には何の日でしょうか?キリスト教で言うところのクリスマスです。つまり、お釈迦様の生誕をお祝いする祝祭日です。ただ、現在の日本において、広く一般的に行なわれているお祭りかと言えば、お寺を除いては、そうでもないでしょう。そこが、クリスマスとは大きく異なる点です。日本の年中行事には、中国大陸長江中流域発祥のものが比較的多く、それが韓半島経由で、一旦、日本宮廷の行事として平安時代に整備され、その内の一部分は、一般民衆の行事として行なわれる様になって行きました。いわゆる「お花まつり」もそうした経緯で広まって行ったものと考えられます。正式には「灌佛会(かんぶつゑ・え)」、すなわち、灌佛台と言われる仏像を載せる台を用意し、そこにお釈迦様のお姿を模した像を安置して、それに、五色の水をかけ、その生誕をお祝いしたのが、日本宮廷における「お花まつり」でした。甘茶ではなく、五色の水、と言うところがポイントかもしれません。五色とは、白、黒、青、赤、黄の陰陽五行色に発した色彩感覚であるものと推測されます。何れにしても、中国の思想的背景が濃厚な仏教上の祭礼です。(2016年4月10日)
新年度が始まりました。「年度」という時間的な区分は、そもそも、近代に入って以降、英国の会計年度の影響を受けて広まったとされる習慣です。四季の存在が明確な日本にあっては、12月~1月にかけての、暦の上での新年では、余り明確な季節感の差異が無かったこと、そして、何よりも、ただでさえ忙しい年末、年始の時期に、学事や人事に関わる節目を設定すること自体を避けたものと考えられます。もともと、4月1日は、日本の年中行事の上では「更衣(こうい)」の日に当たり、季節、生活習慣の変わり目としての位置付けです。更衣とは、衣服のみならず、室内の様子(室礼)をも夏向きに変えるものですので、10月1日にも行ないます。ただ、旧暦ですので、太陽暦の今日ではありません。ところで、「四月朔日(4月1日の意味)」さん、という姓がありますが、読めるでしょうか?比較的、北陸地方に多く分布するとされています。(2016年4月1日)
宮城県石巻市にある旧大川小学校の校舎について、同市はこれを「震災遺構」として、その全てを保存する方針を決めたという。同校では、東日本大震災の津波に於いて、多大な人的被害を被ったのである。それは、心情や、感情、更には、後世の人々に対する伝達責任・義務と言った要素が重なり合う重い課題であり、善悪、好き嫌い、といった価値判断で解決されるべき問題ではないのであろう。元々、大きな災害の発生間隔、いわゆる、「間災期」が、日本海沿岸部地域と比較して短い当地に於いては、前回の被災状況を、次世代に、誰でもが分かる形で伝達することは、一つの命題であった。それは必ずしも、目に見える形のものだけではない。言語的・非言語的手法、また、可視的・非可視的手法である。伝承、語り部による語り継ぎ、標語、津波記念碑、地名等である。今でも、当地では、新たな津波記念碑の建立が相次いでいることは、ネット社会になっている現在に於いても尚、見て直ぐに、誰でもが理解可能な状態にしておくことの重要性が認知されている結果なのであろう。こうした課題は、私が研究している「災害対処の文化論」に於ける、主要な検討テーマでもある。(2016年3月26日)
今日の新潟は、雪交じりの強風が吹いています。さて、受験シーズンも終盤、その意味では、神社や寺の出番も少なくなって来ているのかもしれません。受験生が合格祈願の為に、神社や寺に奉納する絵馬ですが、通常は、お願い事を書き、その場所へ置いて来るものです。ただ、お願い、希望、願望ですので、必ずしも、良いお願い事ばかりとは限りません。元々は、他人を貶(おとし)める、呪符(じゅふ)としての使用法もあったものと考えられます。裏面(絵などが描かれている面)には、その神社や寺に特有の画像、その年の干支などを描いていることが多いようです。それ故に、それをコレクションとして収集する人たちもいます。新潟県柏崎市の「閻魔通り(えんまどおり)」にある「絵馬と土鈴の館 絵馬憧(えまどう)」では、日本全国より収集した絵馬が、その壁面におびただしく飾られています。種類ごとに分類されているので、分かり易いです。館主によれば、最近では、おみくじもそうですが、絵馬も大量生産品が多くなり、趣深いものは少なくなって来ているそうです。また、お茶(お酒)付きの、館主による説明もあって、その方面にご興味のある方には、参考資料としての希少性はあるのかもしれません。(2016年3月24日)
韓半島と越国、災害対処の文化論Ⅴの内容更新を行ないました。今日は、箱根でも20cmぐらいの積雪があったようですね。もうだいぶ以前になりますが、4月に入ってから、新潟県より自動車を運転して箱根へ行きました。勿論、既にタイヤはスタッドレスタイヤより普通タイヤに交換済みです。ところが、箱根に近づくに連れ、雪模様に。直ぐに近くのカー用品店でタイヤチェーンを購入して装着。未だその頃は車の事が良く分からなかったので、何と、駆動輪ではない後輪にチェーンを着けてしまい、全く、無意味な作業をしてしまいました。新潟は雪国ですが、新潟の人は、余程の積雪ではない限り、冬季にもタイヤチェーンは着けません。関東地域に積もる雪は、雪になるかどうかの、高い気温で雪になるので、雪道に慣れている筈の新潟県人でも怖いです。(2016年3月14日)
災害対処の文化論シリーズⅤ、遂に完成!!本日販売を開始いたしました。災害遺構の存否を巡る問題、神話や説話、伝承、そして、地名に込められた、かつての水災害の痕跡とは何か?再び被災しないために、それを人々は、どのように利用して来たのか?日本の沿岸部のあちこちにある小高い築山は何のため?津波災害を始めとした、「水災害」に向き合って来た、日本の記録です。ぜひ、ご覧ください!!なお、本ページの販売ボタン(緑色)は、パソコンによっては、反応しない場合があります。申し訳ありません。恐れ入りますが、その場合には、本ページに掲載してあります、それぞれの本の専用URL(青色)を検索エンジンにコピペしてご利用ください。スマートホンなどの販売ボタン(緑色)は、正常に作動いたします。(2016年3月1日)
昨夜より、本ページよりの、購入ボタン(緑色)を使った電子書籍製本版の購入ができなくなっております。緑色の購入ボタンを押しても、反応いたしません。ただいま、復旧作業をいたしております。ご迷惑をおかけいたしますが、しばらく、お待ちくださいませ。尚、それぞれの本の専用URL(本ページに掲載した青色のもの)や、スマートホンよりは、通常通り、ご購入いただけますので、お急ぎの方はそちらをご利用ください。また、「DLmarket」よりのデータ版は、通常通り、販売をいたしております。(2016年2月22日)
災害対処の文化論シリーズⅠ~Ⅳの内容更新を行ないました。また、シリーズⅤ(浪分けの論理、水災害としての津波)は、来たる3月1日発売開始予定です!!
大学の後期日程も終盤に差し掛かり、それぞれの科目受講者の成績評価を決定する時期がやって来ました。教員が、頭を悩ませる時期でもあります。私が学生の頃の大学の先生には、未だ権威があった?ので、成績のつけ方など、直接聞けるような雰囲気ではありませんでした。聞いたら最後、学生のくせに生意気だ、なんていうことになって、C(可)評価にされてしまった、などという話もたまに聞きました。勿論、今ではそんなことはありませんが。最近では、大学での成績評価方法も、GPA制度等、それまでの絶対評価より、相対評価に変更されつつあるので(文部科学省の意向?)、成績の計算に、それまで以上の労力と時間がかかるようになりました。それは仕事なので良いのですが、以前では、極端な場合には、受講者全員S(秀)とか、C(可)とかといったこともあり得ましたが、現在ではそうはなりません。Sが何パーセント、Aが何パーセントという風に決められています。従って、全部授業に出席して、試験もちゃんと受けたのに、何でSではなく、Aなんですか?という受講者よりの質問もあります。授業への出欠自体は、試験を受けられるか、どうかの資格要件を調べるだけの材料なので、基本的には成績に反映しませんが、学生にとっては、そうでもないようです。高校までは、みんな競争だから、という気持ちを持っていたので、自分の成績についても納得しやすかったのですが、大学の成績は、取りあえず授業にさえ出ていれば、授業中にスマホで動画を見ていようが、音楽を聴いていようが構わない、つまり、競争なんて無いのでしょ、という考えの若い受講者(社会人学生ではない、という意味)が圧倒的なので、競争心理を持って学習に臨んでいる学生なんて、先ず大衆化された、一般的な日本の大学では、少ないです。ただ、大学を卒業して、いったん一般社会に出れば、そこは生存競争の社会なので、社会人になるための訓練として、大学でもそうした競争原理が正常に機能する様になることは、良いことだとは思っています。(2016年2月13日)
雪国に住んでいると色々なことが起きます。雪道で滑って転ぶことは先ずありませんが、いわゆる「しっぱね」(自動車などが跳ね上げる雪交じりの汚い水)を浴びてしまうこともあります。歩行者としての私は、持っている傘で防衛する様にしています。勿論、法的には歩行者にしっぱね等をかけることは違反行為ですが、歩行者のことなど気にせずに行ってしまうデタラメな車も多く見かけます。私も車を運転しますが、歩行者の近くを通る時には、減速して、しっぱねをかけない様に気を付けています。また、先日は、隣家のおじいさんが、自分の家の屋根雪を、私の家の屋根に放り投げていました。まあ、どこにも非常識な人はいるものです。ところで、災害対処の文化論シリーズⅠの内容更新を行いました。掲載写真のサイズも、見やすくするために、大きく致しました。今回より、コンビニ決済も導入致しましたので、是非、ご利用ください。(2016年2月1日)
災害対処の文化論シリーズⅢの内容更新を行いました。是非とも、一度ご覧ください。今後とも、電子書籍内容のより一層の充実に努めてまいります。(2016年1月27日)
昨日より、暴風雪です。当地では、なかなかホワイトアウト状態になることは珍しいです。JR線、路線バスは勿論、一般道路、高速道路ともに通行止めか、大渋滞です。現時点で、新潟県柏崎市の積雪は53cmですが、実際には吹き溜まったりするので、地上では1m近い積雪になっています。雪道走行には慣れている当地のドライバーですが、吹き溜まりにはまったりして、市街地でもタイヤチェーンが無いと、走行は危険な状態です。大学の授業も、全て休講になりました。2015年12月22日条でも書いた様に、やっぱり、初雪の遅い年は、大雪になってしまうのですね。(2016年1月25日)
とにかく、雪国(新潟のことですが)に雪がありません。12月22日条でも書きましたが、その時と状況はあまり変わっていません。それはそれで、生活をする上ではあり難いことなのですが、本当にそれで良いのでしょうか?スキー場にだけは降って欲しいところですが、それもままなりません。少雪の影響は、直接的には今夏の関東圏での水不足が懸念されるところですが、それだけではなく、農業への悪影響もあるかもしれません。米農家の方は、雪も水田に稲の生育に必要なミネラル分をもたらしてくれるので、ある程度の降雪が無いと、却って困る、とおっしゃっていました。水田表土における熱収支の面よりも、少雪状況は自然の流れを妨げているのかもしれません。また、雪は雨とは違って、ゆっくりと融けて、必要な水供給を適切なペースで行なってくれるので、積雪は天然ダムであり、「水循環」という観点よりは、それ自体が天然資源であって、自然にとって好ましい自然現象です。過度の「暖冬少雪」も、私が研究しているところの「自然災害」の一つに入れることができる様になるのかもしれません。沿岸部である当地にも降雪はあることにはありますが、雪になるギリギリの温度(4度ぐらい)で降ってくるので、重たく、べチャッとした雪です。スキー場的には、悪い雪質です。雪質が悪いとスキー板などの先端部分が雪にひっかかり易くなってしまい、骨折など、ケガをしやすくなります。私も、中学生の時、広島県北部にある芸北高原大佐スキー場でサークル活動のスキーをしていて、骨折をしたことがあります。その時も、この様な悪い雪質でした。雪国と呼ぶことのできる場所は徐々に北上して行き、遂に新潟も近い将来には、雪国ではなくなる可能性が高いのかもしれません。既に、庭のフキノトウは花が咲いてしまい、天婦羅や、フキ味噌にはできそうにありません。(2016年1月21日)
大学入試センター試験が始まりました。受験生の皆様はお疲れ様です!!監督者の皆様もお疲れ様です。初日最後の英語リスニング試験は受験生も大変ですが、監督者も針の筵(むしろ)に座ったような試験時間です。プレーヤーとは言え、所詮は機械なので、不具合を起こすこともあり得ます。そうなると大変なことになります。大学入試センターより配布されるマニュアルもありますが、なかなか2回や3回読んだだけでは、理解が進まないこともあります。勿論、事前の予行演習も相当な時間をかけて周到に行いますが、実際の試験となれば、緊張もしますし、また予行演習とは事情も違ってきます。机間巡視も禁止されているので、監督者も定位置での見守りということになりますが、何事も起きないで試験終了時間を迎えると、実は監督者もほっとします。私も一応、教員ですが、入学試験自体にはそれほどの価値を認めていません。無論、学習や競争は必要ですが、それが大学教育では、余り上手く機能はしていない様に感じます。それよりも寧ろ、卒業要件を厳格に、厳しく運用した方が学生自身や、社会の利益にはなると思います。一旦大学に入学してしまうと、学習の目標を持っていない多くの学生は一応の勉強(試験直前)はしますが、それを除けば如何なものでしょうか?大学の中では、中々自分で学習の到達目標を決めにくいという事情もあるかもしれません。しかし、日本語運用能力が、留学生よりも低い日本人学生というのは、いったいあなたはどこの国の人ですか?と質問したくなります。今では疎外されつつある一般教養教育の充実や、日本語運用能力の向上は急務であると思います。受験的な学力はあるのに、「世間話」がまともにできない、ごく普通の会話が続かない、そうしたところから改善を始めなければならないのが、現在のごく一般的な大学教育です。「世間話」をしようと思ったら、意外と高度な知識や、経験、センスなどが必要なことに気付きます。(2016年1月17日)
日本企業にとっての創業「100年の壁」が大きいことは、12月27日の項でも記しましたが、それでもなお、日系企業の中には、その創業が100年以上前にまで、さかのぼることのできる「老舗」企業が、約21,000社もあるとされています。ただ、この100年という時間にも、大きな地域差があるようです。東京は、日本の中では比較的新しい都市ですが、創業より50年もたてば、「老舗」であると言っても、誰も文句は言わないでしょう。テレビなどでは、20年でも老舗と表現しています。ところが、古くからの都市である京都などでは、50年、100年は、昨日、今日のレベルであって、決して老舗とは言いません。そこでは、創業400年以上が、老舗のであることの一つの基準とされているようです。つまり、「江戸時代」に創業された企業は、老舗ではない、という認識です。これには、単に、京都が平安京以来の古い都であるという自負だけではなく、伝統的「東国観」や、都市としての江戸に対する蔑視観が反映されている可能性もあるかもしれません。寺社建築の「金剛組」は、ギネスブック級の古参企業であるとされています。同社HPによれば、創業は西暦578年としていますから、もはや、老舗の域を超えています。百済国(くだらのくに)から3人の工匠が倭国に招請され、そのうちの一人であった金剛重光が「金剛組」を創業したとされています。金剛重光とは、いささか日本人風の呼称ですが、元々は「金さん」であった可能性もあるかもしれません。何れにしても、1,400年以上に渡って一つのことを継続させることは、想像を絶することですが、そうした渡来人(倭国にとっての外国人定植者)たちの活躍があってこそ、古代日本国家や、その後における日本文化の形成が進んで行ったこともまた、事実でしょう。ところで、今日は、「七草粥」の日です。もちろん、本来は旧暦ですので、太陽暦の今日ではありません。それはともかく、「七草粥」自体も、元々は中国長江中流域における「人日(じんじつ)」(人を占う日)に起源を持つとされています。中国大陸より日本へ伝わった行事は、一旦、日本宮廷で取捨選択されて、整えられ、更に日本や日本人の嗜好に合うように改造され、後にそれが民衆の行事となって広まって行く、そうした年中行事は多いです。節分、お花まつり、端午の節句、七夕、お盆、重陽節なども、そうした経緯で、日本の行事として定着しました。中国梁の宗懍(そうりん)が著した「荊楚歳時記(けいそさいじき)」(6世紀半ばごろ成立)には、そうした日本の年中行事の原型が見て取れます(東洋文庫324)。(2016年1月7日)
新年早々、いささか、上から目線の様で大変恐縮なのですが、世の中には、いわゆる、「センスの良い人」と、そうではない人の2種類の人がいるように思います。ここで言うところのセンスとは、容姿、外見だけではなく、もっと総合的なものの見方です。これは、学校の成績だとか、学力、学歴とはほとんど関係のない、処世術みたいなものです。それは、ありとあらゆる場面で発揮され、センスの良い人と、そうではない人との差が歴然として表れてきます。たとえば、切符を買う時、勉強をする時、自動車を運転する時、会話をする時、食事をする時、何かの計画を立てる時、物を片付ける時、会議をする時、などなど。センスの良い人は、言わば、要領が良いので、傍目に見ていても、得をすることが多いように思えます。一方では、ズルい面もあるように見えますが、彼らは決して常識外れであったり、ルールを守らないものではありません。センスが良ければ、時間的にも、金銭的にも得をする確率が高いと言えます。ある場合には、センスが良いだけで、命びろいをすることすら、あるかもしれません。そうした「センス」とは、親や学校の先生など、他人から教えてもらうものではなく、自分自身のアンテナの感度であり、それを良くするも悪くするも、本人次第でしょう。センスの良い人は、共通して、常に周囲の動向に敏感で、臨機応変です。周りで何が起こっていようが、我れ関せず、という方針の人にセンスの良い人は少ないような気がします。有名大学を卒業して、著名な職場で働いている人の中にも、センスの良くない人はたくさんいます。また、その反対バージョンもあります。センスの良い人は、接していて気持ちが良いです。相手の気持ちを思いやることが出来る余裕を持っているので、相手を不快にさせることは、通常はありません。その反対に、センスの良くない人は他人をイライラさせ、また、怒らせたりもします。しかも、それは故意ではなく、自然とそうしてしまうので、なかなか、注意しにくいです。そうした人と接しなければならない時には、仕方が無いので、最初から諦めます。ただ、センスは先天性のものではなく、本人の努力次第で、いくらでも向上させることが可能です。私も、今年はそうしたセンスの向上につとめたいと思ってはいるのですが。(2016年1月3日)
謹賀新年!!今年も、独り言をつぶやきたいと思います。大晦日の夜、今年は紅白は見ない、と言いながらも、やはり紅白歌合戦を見てしまいます。森進一も今年を最後として、紅白を卒業する由。松田聖子が紅白でオオトリをつとめるなんて、赤いスイートピーを歌っていた頃には、想像することもできませんでしたが、時間の流れを感じさせます。(2016年1月1日)
京都府大山崎町にある大山崎山荘美術館は、天王山の麓に佇む山荘風の建物です。元々は、実業家加賀正太郎氏によって営まれた英国風山荘でした。しかし、時の流れと共に維持することが困難となり、1996年、アサヒビール株式会社が運営する企業出資の美術館として出発しました。クロード・モネの「睡蓮」3連作を常設展示していることでも知られています。企業が、本業とは異なる社会、文化活動に携わることは、現在では珍しくは無くなってきています。それは、本業で上げた利益の一部分を社会貢献の為に還元するという発想に基づくものです。こうしたことは推奨されるべきことでしょう。企業側にも、そのイメージを高めるという一定の効果は存在します。ただ、こうした企業や篤志家の方々による美術館、博物館の場合、確かに収蔵、展示されている作品は著名な作家のものであり、しかも高額な作品であることが多いのは事実ですが、その反面、公立の施設の様な体系的な収集思想や、取捨選択に基づいた収集活動が行われていないことも多く、博物館、美術館の持つ社会教育的側面よりは、考慮すべき面もあるのかもしれません。また、「老舗」企業の多い日本ですが、それでもなお、「100年の壁」は大きいと言わざるを得ません。つまり、業績好調の時には問題がありませんが、窮地に陥ってしまったような場合には、せっかくの収蔵品が再散逸してしまう可能性も、全く無いわけでもありません。大山崎山荘美術館の収蔵品の中核をなすものには、朝日麦酒株式会社初代社長であった山本爲三郎氏の個人コレクションが充てられています。氏は「民藝運動」の支持者であったとされ、当館収蔵品には河井寛次郎氏や濱田庄司氏による「名品」も含まれています。「民藝運動」と「印象派」、どちらも興味深いテーマではあります。(2015年12月27日)
新潟には今日現在、積雪がほとんどありません。越後湯沢も六日町もさっぱりです。新潟の人が良く言うことに、「スキー場にだけ降れば良いのに!」という言い方があります。そのスキー場のゲレンデにすら、ほとんど雪は積もっていない状況です。積雪が無いことは、生活する上では良いのですが、やはりその季節なりの状況というのが、地球には優しいようです。週間天気予報によると、今週末には降雪がありそうですが、最高気温が4度以下には下がりそうにないので、日中は冷たい雨や霙(みぞれ)かもしれません。積雪が少ないと、次の夏には水不足が懸念されます。私が子供の頃には、12月~2月にかけての時期に、あまり雨が降っていたという記憶がありません。降るとすれば、それは雪です。ここ数十年だけを切り取ってみても、冬場の新潟は確実に暖かくなっているようです。勝手に気象予報士によれば、今年はこの時期にガメ虫が多いので大雪だとか。本当の気象予報士の予想によれば、やはり暖冬小雪であるとか。私の経験則的予報によるならば、初雪の遅い年は、その後大雪になりやすい様な気もします。(2015年12月22日)
寒い季節になりました。ということは、日本酒の美味しい季節であるとも言えます。勿論、現在では、「蔵」というよりも、オートメーション化された、衛生的で、近代的、きれいな食品工場の中で、一年を通じて安定的に醸造し、市場に安定供給することができるようになっています。本来、日本酒は季節商品であって、電気設備の無かった時代には、厳冬期にしか造ることができませんでした。それでもなお、「腐造」の事故も発生したりして、気を抜くことのできない、集中力を必要とした作業でした。それ故、特にこの時期、女性が醸造蔵の中に立ち入ることを忌避した習慣、いわゆる、「女人結界」(女子立ち入り禁止)が成立していました。日本文化論的視点では、それは、男尊女卑の陋習などよりもたらされた習慣ではなく、「気を抜けば大損害につながるかもしれない作業場での、男性作業員(蔵人)組織の結束力や集中力を維持する」ための方便でした。「女性には生理があるから、つまり、ケガレの対象としての「血」につながるから」というのは、飽く迄も、誰をも納得させるための口実に過ぎませんでした。さて、私が日本酒の本場である新潟の醸造蔵100社の中より、これは良いなあ!!というお酒を一つご紹介します。ただ、日本酒も嗜好品である以上、美味しい、美味しくない、のご判断は、皆さんにお任せします。それは、新潟県長岡市和島にある久須美酒造さんのお酒「清泉(きよいずみ)」です。最近では、淡麗辛口が新潟清酒の定番の様になっていますが、その中にあっても、これは穏健派といえる存在であり、味はまろやかで、さわやかな風味を醸し出しています。さっぱりとしていて、肉料理にも合いそうです。大吟醸酒の「亀の翁(かめのお)」は、ねっとりとした深みのある味わいが特徴的で、日本酒とは思えない、熟成度を保っており、そのお酒としての完成度の高さには、非常に驚かされます。(2015年12月17日)
橋梁等での耐震補強工事に関して、阪神淡路大震災後に、橋脚へ設置された安全装置の溶接部分で、意図的に手抜き工事が行われていた箇所が、45都道府県で556箇所も存在することが判明し、手抜き工事を行なっていた企業は12社に及ぶことが明らかになった、というニュースが報じられた。通常の通行では問題は無いものの、震災時には、最悪の場合、落橋を防止することが出来ない可能性もあるという。先日話題となった、マンション基礎工事に於ける杭打ち工事のデータ改ざん、手抜き工事発覚の際にも、「日本人のモラルはどこへ行ったんだ!」と言っていたコメンテイタ―が何人もいた。しかし、よく考えてみれば、誰の目に触れることの無い部分で、手抜きをしたくなるのも道理ではある。ましてや、それがコストカットにつながるとするならば、なお更のことではあろう。それはモラルなどの問題ではなく、人間としての自然な思考の流れであるのかもしれない。本ブログの「11月29日」の記事でも書いた様に、それは「本音と建て前」につながる、日本人の深層心理であるのかもしれない。自分に関係が無く、「表沙汰」にさえならなければ、それはどうでも良いことなのである。日本人が他人の視線を気にすることに就いて、それを武士の出現、つまり、平安時代中期にまで求める考え方もある。武士は野蛮であり、教養もないし、すぐに怒る。従って、彼らの機嫌を損ねない様、「保身」の為に彼らの目を気にする必要性が生じるようになったとするものである。日本人が、今でも相手との適切な空間(パーソナルスペース)を維持したがるのは、そうした過去の記憶が遺伝子の中に刷り込まれているからである、とするのである。例えば、列に並ぶことは、社会秩序を守るためでもあるが、その一方では、相手との一定の距離を保ち、トラブルなど、身に降りかかるかもしれない危険を回避するために行なわれるようになった保身行動なのかもしれない。大陸出身の人が、比較的列に並ぶことを嫌い、割り込みをするのは、彼らに秩序が無いからではなく、並んでいても仕方がないからであり、先に行けば、何か良いことが期待できるからである。それは、そこで生きて行くための「生存競争」なのである。広い空間を持つ大陸に於いて、同じ場所、広い場所で、長時間もたもたとしている事の方が襲撃対象となり易く、「目立って」しまい却って危険であり、それを回避する割り込みこそが、彼らの遺伝子に組み込まれた保身行動であるのかもしれない。(2015年12月16日)
メールでご紹介を頂いた電子書籍があります。ジョン・金井氏による「そうだったのか!ニッポン語ふかぼり読本」です。同氏は、独自の視点や興味に基づき、日本語にまつわるあれやこれや、とてもためになるお話をこの本に収載しています。例えば、日本→「にっぽん?」、「にほん?」など、興味深いお話満載です。私も購入して拝読しましたし、知り合いにも、紹介をさせて頂いております。Amazonより購入することができますので、いかがでしょうか。さて、今日の新潟は温暖で、穏やかです。当分、降雪は無さそうです。子供の頃には、早く雪が積もらないか、大雪にならないかと、首を長くしていましたが、今では逆です。ただ、やはり季節どおりに、降るべき時には降るべきものが降ってくれないと、生活する上では快適で良いのですが、今後の農業への悪影響や、来年夏の水不足につながったりもして、とても心配です。やはり、二十四節気どおりの季節の運行が、地球には優しいようです。(2015年12月12日)
今日の新潟は、曇っていますが、この時期としては割と穏やかな天候でしょう。ところで、昨日の夜、大事件がありました。ところが、そのことを話しても、なかなか信用してもらえません。昨夜19:30過ぎ、帰宅の為に歩いていたところ、南側の空が急に明るくなり、何かの「発光物体」が火花の様な尾を引きながら、落下して行くではないですか!!方角としては、東側より、南西方向に向かって落下して行く様に見えました。高度はよく分かりませんが、およそ、2~3キロメートルといったところでした。あのまま落下したのであれば、長野県北部付近に落ちたのかもしれません。音は全くしませんでした。私は、てっきり、飛行機の墜落か、ミサイル攻撃だと思ったぐらい、その物体は明るく、また、大きく見えました。通常の星や飛行機ではありません。きっと大ニュースになっていると思い、すぐにテレビをつけましたが、全然話題にはなっていません。今日の新聞にも、該当する記事はありませんでした。あれは、錯覚だったのでしょうか?でも絶対に、誰かがスマホのカメラで撮影してくれていると期待しているので、その投稿を待つことにしましょう。ところで、室町時代に書かれた、京都醍醐寺三宝院の住持の日記「満済准后(まんさいじゅごう)日記」応永(おうえい)26年(西暦1419年)7月19日の記事として出現する、名古屋の熱田神宮での「大ナル光物」、つまり、発光物体の同社への落下事件も、当時の人々は、私のような驚きをもって、見ていたのでしょうか。日本のみならず、世界史的にも、彗星の出現、隕石や隕鉄、火球の落下は凶兆、すなわち、近い将来に何か悪いことが発生する前兆現象として認識されて来ました。「満済准后日記」の記事の時にも、「応永の外寇(がいこう)」という、外国(李氏朝鮮軍)よりの軍事攻撃事件(九州の対馬)があって、日本国内は騒然とした状況でした。それとの関連で、熱田神宮への落下事件も認識されていました。今回も、何か悪いことが起こらない様に、祈っています。(2015年12月10日)
昨日に引き続いて、本日の新潟は、相変わらずの暴風雨です。東京ならば大事件ですが、当地では当たり前の、この時期に特有の光景です。ところで、日本の地名や、人名(特に苗字)に就いて、お問い合わせを頂くことがあります。災害文化史を調べている関係上、私も地名に関しては良く調べますが、漢字は表意文字であるので、その土地の来歴を地名に刻むことは良く行われて来ました。特に、江戸時代以前には、そうしたことが良く行われていたようです。それには、識字率の問題が大きく関わっています。昔の武士や公家等も、自らの領地や屋敷地の地名をその家の通称として、本来の氏(うじ)の名称とは別に、現在に於ける苗字の様に使うことが多かったのも事実です。それは、その土地と自らの家との結合の強さ、支配の正当性等を示す必要性があったからであると推測されます。従って、その家の通称や苗字と地名との間には、密接な関係がある場合もあります。ただ、漢字には音訓が有るので、ある種の理由より、それが同音異義の別語に置き換えられ、当て字に変えられている場合も多く、現在の地名の漢字表記だけから、その土地や家の来歴を知るにも限界があります。また、苗字ですが、血統を表示するという機能に於いて、日本人の苗字ほどいい加減なものはないと思います。明治初期になり、江戸期の被支配層にあっては、それまでの様に、名の使用だけでは不便であったり、徴兵に関わる理由、交流圏が江戸時代の様に村単位であった時代より、広域化して行くに連れ、家名としての苗字の使用がほぼ義務化されて行きます。特に民法に於いて、家や戸主の存在が強調されるようになると、尚更のことでした。いわゆる明治新姓が多く出現し、中には、役人が勝手に付与した語感の悪い苗字も作り出されたとされています。従って、日本人の苗字を調べる際には、人権に配慮することが必要です。名と違い、家庭裁判所の審議を経なければならない等、苗字の変更には困難を伴うので、尚更のことです。(2015年12月5日)
今日の新潟は、低気圧の東進にともなって暴風雨です。よって電車はまともに動かず、また、道路も橋梁部での通行止めで帰宅できなくなるかもしれないというので、授業も少しだけ早く終了です。自然現象の話なので、仕方がありません。ところで、災害対処の文化論シリーズⅤは、ただ今、鋭意作成中です。そこでも触れますが、津波には海底地震にともなって発生する津波と、高浪や高潮といった、気象津波と呼ばれるものとがあります。後者は、低気圧や、台風の通過、接近によって海水が巻き上げられ、また、沿岸部へ吹き寄せられ、結果として海水面が上昇して沿岸部地域に浸水被害をもたらすものです。特に、大潮の満潮時にそれが重なると、大きな被害につながります。今回の低気圧通過では、その様な被害は起こっていないようですが、これだけ風が強いと、海水が雨や強風と共に、沿岸部へ降り注ぎ、塩害をもたらします。自動車も、道路へ散布される凍結防止剤、融雪剤の影響ともあいまって、下回りから錆び始めます。静岡県の沿岸部では、江戸時代に気象津波により、多大な被害を被ったことから、命山と呼ばれる、人工の小山を築き、それを何とかやり過ごしていましたが、現在では、その存在が見直され、現代の命山として、数か所、津波対策用の避難施設として整備されつつあります。近くから見ると、築造当時の古墳をイメージさせる大きさです。(2015年12月4日)
新潟県内の水辺にも、この時期多くの白鳥が飛来します。ただ、今年は例年に比べてその飛来時期も早く、個体数も多いといいます。阿賀野市水原(すいばら)にある瓢湖(ひょうこ)では、11月27日の計測で、ついに白鳥だけで1万羽を超えてしまい、新記録達成となりました。水面は、白鳥をも含めた水鳥で、ラッシュ状態です。また、今日は佐渡島に漂着していた木造船内の捜索で、遺体が発見されています。これも以前に書いた様に、北朝鮮よりの漂流漁船であるとされています。つまり、今年の冬の日本海は、例年の冬とちょっと違った様相を呈しているとも言えそうです。それが意味している事象とは、地球温暖化に依る異変なのかもしれません。先日開催された、COP21でも、島嶼国の惨状が話題に上がりました。つまり、温暖化による海水膨張、海面上昇で、国自体の存亡にかかわる事態にさらされている国々が存在しているということです。海面上昇自体は、海進、海退といった、全地球規模での気候変動の中で考慮されるべき出来事ではあるでしょうが、これが同じ島国である日本にとっても無関係であるとは考えられません。勿論、温室効果ガス排出側の加害国としての責任もあります。このまま事態が進行すれば、早晩、日本の砂浜や沿岸部そのものも、縄文時代の様に、更に現在の島嶼国同様に、消失の危機に直面することははっきりとしているでしょう。(2015年12月3日)
昨日は忙しくて書けませんでした。流石に「師走」とは良くも当てはまる言い方です。最近では、門松を年内に飾るところも多いようです。ただ、これは正月行事「子の日の遊び」 (公家たちが正月に野に出て松の若木を引いてくる遊び)に由来するので、年内に飾るのはどうかとも思います。しかし、節分(旧暦の大晦日)までに行なう年末の行事、「鬼遣(おにやらい)」、「追儺(ついな)」という、鬼を追い払う行事との融合も見られることより、鬼が忌み嫌う尖った物、柊(ひいらぎ)の葉や竹(の先端を斜めに鋭くカットしたもの)、そして松葉などを、門松という形でセッティングしたものであると考えられます。松や竹は常緑であることより、長寿や健康の象徴でもありました。旧暦の年末に米や大豆を神へお供えする家庭もあります。これらも生命の起源であると考えられ、やはり鬼が嫌ったとされています。縄文時代ごろ、中国大陸より日本へ、「鬼」の思想が渡来したころには、桃の種を使った鬼退治も行われていたようです。日本書紀には、桃の種を使った鬼(八色雷公)退治の話も登場しています。(2015年12月1日)
日本人等がこっそりと(違法に)ゴミを捨てる時、多くの場合には、人目に就かない場所へ、人目を忍んで捨てて行くのだと考えられます。筆者の勤務する学校の傍にも立派な道路が通っていますが、人家が途切れた様な場所にはゴミが多く捨てられ、人家が有るような所には余り捨てられてはいません。また、不思議なことに、それだけ多量のゴミが違法に捨てられているにも関わらず、私は一回もゴミを捨てている人を見たことが有りません。ということは、ゴミを捨てる人の心の中には、やはり、やましい気持ちがあって、人がいない時を見計らって、こっそりと捨てて行くのでしょう。以前、東アジア某国を訪れた際、道路脇は、人家が有る無しに関わらずゴミだらけで、大胆にも人目を憚らず、道路にゴミを放り投げる人を多く見かけました。それどころか、その国の高速道路の本線上には、コンクリートブロックや、破片が多量に散乱していました。荷台より落下したものかもしれません。よくもまあ、事故が起きないものだと、当地のドライバーの高速運転技術の高さには驚かされたことがあります。何れにしても、そうした場所へゴミを捨てる行為は良くないことですが、日本でも古来、「水に流す」という表現法がある様に、側溝等にゴミを捨てたり、用を足したりする人が後を絶ちませんでした。ただ、やはり、それもこっそりとしていたのでしょうか?日本人の心情表現には「本音と建て前」がありますが、ゴミを違法に捨てるのに際しても、そうした裏と表の顔があったのでしょうか?ところで、私が勤務する学校傍の道路脇に捨てられたゴミは、本学の学生等が中心となって、定期的に拾い集め、きれいにしています!!(2015年11月29日)
筆者もやっている電子書籍は、今後、増加の一途をたどって行くことでしょう。ということは、必然的には既存の書籍や、出版社の存在を圧迫して行くことになります。紙ものの本が全く消えて無くなるとも思いませんが、こうした流れは、予想以上に早く進んで行く可能性もあります。電子書籍の利点は、筆者、ユーザー双方にとり、何と言っても簡単である点、金額が安い点、無限に部数が発行可能な点、つまり、電子書籍サイトが閉鎖されない限り、「絶版」はありません。そして、速報性にあります。通常の書籍では、どんなに売れっ子の作家さんの本でも、毎月版を重ねて刷る、などということは少ないでしょう。ところが、電子書籍は、ワードやPDFファイルでの入稿なので、書き足したいこと、修正点等があれば、数分で更新することができます。読者としては、常に最新の情報に接することができる可能性もあります。私も、上で掲げた電子書籍については、何か新しい知見があれば、随時内容の更新をしています。従って、ページ数自体は、当初の物より段々と増えて行っています。書籍も成長をしていると言っても良いのかもしれません。(2015年11月28日)
今日の新潟は大荒れです。例によって、この時期特有の気候―低気圧の、発達しながらの東進によって、強風に強雨です。午後からは一時的に霰(あられ)や霙(みぞれ)も降りました。従って電車は遅れ、1限の授業は、欠席者多数です。雪は少ししか積もらないが、風は強いのが良いか、または、積雪は多いが、風は吹かないのが良いか、新潟県人なら分かる選択です。(2015年11月27日)
二十四節気は、古代中国の文化が日本へ波及した典型ですが、いわゆる旧暦の使用法と共に、農業や日常生活をスムーズに進行させるツールとして、現在でも活躍しています。昔の中国大陸の人々の中には、優秀な人物が多かったことを示しています。今日は「小雪(しょうせつ)」で、あともう少しで「大雪(たいせつ)」です。札幌では予想外の大雪(おおゆき)となって、除雪が追い付いていない様です。今日の後半よりは、低気圧が発達しながら東進し、特に日本海側の沿岸部地域では、大荒れの天候になりそうです。二十四節気、古代中国の季節感が、温暖化の進んだ今の日本にも当てはまるというのは、驚くべきことです。(2015年11月26日)
現在、ある自治体で、「Webミュージアム」の構築作業をお手伝いしています。インターネット空間上に、仮想の博物館を開設するものです。今ではどこの自治体でも同様のサイトを設けていますが、小学生による地域学習も視野に入れていることが多い様です。ということは、一般の方々が見ると、ちょっと稚拙なものに見えてしまうこともあり得ます。こうしたWebミュージアムで、全ての来訪者の期待に応えるのは、なかなか難しいのかもしれません。ただ、HPとはいっても、作りっぱなしで良いわけではなく、維持管理、内容の更新、業者への支払い、人件費等をも含めて、想像以上の高額な税金が投入されます。「コスパ」という言葉もありますが、当自治体に本当に今それが必要なのかどうかも含めて、考えてみる必要もありそうです。(2015年11月25日)
日本文化特論という授業で、「女人結界」の話題を説明する時、その起源の一つとされる事柄を紹介します。それは空海にまつわる「山家学生式」の中に記された、彼の考え方ですが、それは本当に彼が言ったことなのか、どうかははっきりとしません。無論、歴史上のことですから、それを検証する方法もありません。ただ、言った、言わなかったは別として、「尾ひれがつく」という慣用句を示しながら、高僧の思想が次第に拡大解釈されながら、社会へ広まって行った様子を留学生には説明します。慣用句は、日本語の中でだんだんと使われなくなって来ていますが、ある事象をイメージする時や、曖昧にしておきたい時などには便利です。何せ、「曖昧さ」は、日本文化の特性ですから。(2015年11月24日)
今日もまた、日本海沿岸地域での木造船漂流、漂着のニュースが報じられています。こうした事例は例年のことですが、今年はちょっと、いつもの年とは違う様相を呈しています。北朝鮮国内での異変を反映したことなのでしょうか?ちょっと、心配です。昨日の新潟は、この時期としては穏やかだったので、庭の木の冬囲い作業をしました。雪の重みから植物を保護するための作業です。雪国ではない地域の方には、関係のない作業ですね。(2015年11月23日)
石川県輪島市門前町の沖合で、11月20日午前、国籍不明の木造船3隻(船長約13m前後)が漂流しているのが発見され、その内2隻よりは成人男性10人の遺体が発見されました。2隻には漁網が積まれ、ハングルが書かれ、「朝鮮人民軍」の表記もあったとされています。毎年、この時期になると、北陸地方(昔の越国)~東北地方の日本海沿岸には、こうした木造船の漂着事例が多く見られます。その多くは木造船であり、日本の漁業者が通常使用する船ではありません。日本海の日本沿岸部では、海流の様相は、西側より東流してくる対馬暖流であり、韓半島の東岸より海に入った物体は、放っておけば、日本の北陸地方等に漂着するのです。彼らの乗船していた木造船も、韓半島東岸域より出航したことは、推察することができます。海流や、この時期に特有の季節風により、その方面より、意図せずに流されて来たものでしょう。古代にも、丁度この時期、日本朝廷の新年の儀に間に合わせる目的で、高句麗や渤海よりの国家使節が、無理をしながらも、北陸地方を目指してやって来ましたが、やはり、結果は散々なもので、その多くは漂着した状態で見つかりました。1,000年以上たっても、日本海を巡る厳しい状況は変わっていないことがうかがわれます。以上、事件の詳細は「新潟日報」11月22日付朝刊参照。詳しくは、①「韓半島と越国(かんはんとう と こしのくに)~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~」をご覧いただければ幸いです。(2015年11月22日)
単なる日本の歴史ではなく、できれば、何かの役に立つ歴史学や文化論の構築を目ざしています。まだまだ、新しい知見の発見が多く、勉強は続きます。初冬の新潟より。(2015年11月21日)
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各種講座、講演会、また、出張授業等における講師のご依頼をお受けいたしております。今までの講演実績は、「足利義政と銀閣寺 ~和風文化の原型と生活文化、文芸~」、「日本に於ける災害対処の文化史 ~本当は怖い羽衣伝説、浦島太郎~」、「日本女性史の変遷 ~結婚・離婚、女人禁制~」、「越後の聖将 上杉謙信 」、「越国と韓半島 ~ヒスイ、鉄、そして渡来人~」、「日記、古記録資料にみる日本史」、「みんなで日本を学習しよう!!シリーズ ~京都。日本のふるさと~」、「日本酒の経緯(いきさつ)と日本酒文化論 四方山話(よもやまばなし)」、「電子媒体を使用した歴史学研究の可能性追究-柏崎市高精細デジタルアーカイブを事例として-」、等です。詳しい対応分野は、以下の「著者略歴」、および、「research map」で「研究者検索」(小林健彦)をご覧ください。往復交通費(日帰り出張不可能な場合、宿泊費用を含む)、資料印刷(コピー)費用のご負担をお願いいたしております。資料原稿よりの印刷、コピーをお引き受けいただける場合、資料印刷費用はかかりません。標準的な講演時間は、質疑、応答時間を含めて、約60~120分です。また、会場の所在地、形態は問いません。その他、ご希望に添う様、ご相談に応じます。ご依頼、お問い合わせは、「ktakehik@ner.takushoku-u.ac.jp」までお願いいたします。
著者略歴:
小林 健彦(こばやし たけひこ)
1962年生まれ。新潟県出身。学習院大学 大学院 人文科学研究科 史学専攻 博士後期課程 単位取得 満期退学。現職は、拓殖大学 大学院 言語教育研究科 客員教授、新潟産業大学 経済学部 教授。また、日本文化講究機構 歴史工学研究所 代表。専門は歴史工学、日本語運用史、災害対処文化史、対外交渉史等。主な著作には、『定本 上杉謙信』(共著書、高志書院、2000年5月)、『越後上杉氏と京都雑掌』戦国史研究叢書13(単著書、岩田書院、2015年5月)等。プロフィールや研究業績の詳細に関しては、「research map」で、「研究者検索」(小林健彦)をご覧ください。
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韓半島と越国:
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災害対処の文化論シリーズⅠ:
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災害対処の文化論シリーズⅡ:
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災害対処の文化論シリーズⅢ:
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災害対処の文化論シリーズⅣ:
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災害対処の文化論シリーズⅤ:
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日本語と日本文化の歴史基層論:
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災害対処の文化論シリーズⅥ:
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災害対処の文化論シリーズⅦ:
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災害対処の文化論シリーズⅧ:
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災害対処の文化論シリーズⅨ:
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書籍のご紹介
作品のラインナップ(電子書籍の製本版。普通の紙の本です)
①韓半島と越国(かんはんとう と こしのくに)
~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~
現在の北陸地方、新潟県域を合わせた地域、かつての「越国」を通して見た、朝鮮半島や、中国大陸を見据えた国家間交渉の行方とは何か?古代日本国家の威信をかけた対外交渉の顛末とは?日本にしかなかった謎の宝石「夜明珠」と阿蘇山との関係。そしてその使い道とは何か?能登半島の能登島にあるツイン石室をもつ古墳の謎。海を見渡せるそのロケーションに秘められた思いとは?新羅国文武王の海中王陵が物語る、日本との意外な関係とは?初期日本海軍を担った「海人(あま)」集団と船舶、それらを掌握したヤマト王権による日本海側東進の思惑はどこにあったのか?高麗船がもたらした銀簡の謎。そこに書かれていた不思議な文字の意味とは何か?文禄の役の際、上杉景勝や直江兼続は朝鮮半島で何をして来たのか?朝鮮半島に日本式のお城がいっぱいの謎!!画像データも豊富に掲載。分かりやすい内容です。中学生以上向き。地域学習や講演の資料としてもご利用いただけます!!
版型:B5版 ページ数:349ページ 価格:4,191円(税込) ご注文は下記より
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②災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~
日本において発生してきた数々の自然災害や疾病が、どのように記録され、また、どのように克服されてきたのかを、分かりやすく解説!!日本で最初に記録された地震はどの様なものだったのか?古代の天皇によって発表された「不徳」と災害との意外な関係!お坊さんが医者?医者がお坊さん?女医さんもいた!!古代日本の医療制度。病気と鬼の関係とは?節分には桃の種を投げていた?道祖神の原型とは何か?中国災害史との意外な関係とは?「方丈記」に見られる日本人の無常観とは如何なる経緯で成立したのであろうか?災害立国日本の軌跡を描いた一書です。画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:307ページ 価格:3,676円(税込) ご注文は下記より
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③災害対処の文化論シリーズ Ⅱ ~室町時代より江戸時代の地震災害と対処の生活文化~
室町、戦国時代~江戸時代初期、そして、幕末期にかけて発生していた数々の地震災害。当時の人々は、これらの震災に対して、どのように対処をしようとしていたのであろうか?豊臣秀吉も地震より命からがら助かっていたって、本当?前代未聞!空より降り注いだ「馬の毛」の正体とは一体何か?江戸時代の大名が最も恐れた自然現象とは何?江戸城にも存在したパニックルームとはどんなもの?災異改元にすがる天皇や将軍。震災後、根拠のない中国文献を漁り、未来予想図の構築にすがる為政者の謎の姿!!日本の地下奥深くにまで突き刺さる謎の岩体!!鯰絵って何?江戸時代幕末には鯰の蒲焼を食べて地震鎮め祈願をした?琵琶湖に浮かぶ竹生島が日本の中心って本当?こんな疑問を分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:245ページ 価格:3,086円(税込) ご注文は下記より
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④災害対処の文化論シリーズ Ⅲ ~新潟県域に於ける謎の災害~
新潟県における災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。今まで海底であった場所が、一瞬のうちに陸地になってしまったという想像を絶する災害の謎とは?ええっ!新潟が無い!!海だらけ、謎の「越後国図」!!新潟にも、とっても怖い活火山があったの?島や海沿いの神社が一瞬で消えて無くなるってどういうこと?キーワードとしての古代日本語「奈具志(なぐし)」の謎!!盲目の女性芸能者であった瞽女(ごぜ)により語り伝えられていた壮絶な地震被害の内容とは?こんな疑問を分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広く利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:224ページ 価格:2,860円(税込) ご注文は下記より
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⑤災害対処の文化論シリーズ Ⅳ ~北陸、新潟県域の古代と中世~
北陸、新潟県域を対象とした災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。古代より中世の時期にかけて、想像を絶する災害が発生していた北陸、新潟地方。ネズミの大移動が意味していたこととは何か?「人魚」も災害?聖徳太子と人魚との意外な関係とは?北陸地方でもオーロラが見えた?今より充実していた古代の「厚生」政策とは?「泥雨」の恐怖とは何か?しかし、当地の民衆は、屈することなく、地域社会の維持に努力をしていた。災害対処の様子を文化史として分かりやすく解説!!画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広く利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:261ページ 価格:3,276円(税込) ご注文は下記より
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⑥災害対処の文化論シリーズ Ⅴ ~浪分けの論理、水災害としての津波~
宮城県、福島県、静岡県、新潟県、福井県、京都府を中心とした地域における津波災害対処の様子を、文化史として分かりやすく解説!!日本神話に隠された自然災害の痕跡と子孫への警鐘。「浪分」とは何か?「不動明王」と津波災害との意外な関係とは何?「荒浜」と津波。島が瞬時のうちに海底へ沈む謎とは何か?津波災害より逃れるヒントとしての文化とは?本当は怖い羽衣伝承、浦島説話!!死者の国「龍宮城」は実在した!江戸時代の「命山」が現代に復活。江戸時代初期には既に存在していた、高度な治水対策の数々!各地に残る日和山の謎とは?画像データも豊富に掲載。中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:385ページ 価格:4,341円(税込) ご注文は下記より
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⑦日本語と日本文化の歴史基層論 ~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~
外国人が苦手な日本語って何?留学生に知って欲しい日本のこととは。インターネットもマスコミも存在しない昔の日本。人々は生活に必要な情報をどのようにして得ていたのであろうか?「~らしいよ」という表現法は、実は「命がけ」!!それは自己保身と危険回避のために行なっていた日本人の基本的スタンス?そして、なぜ日本人は「の」を多用するのか?どうして、人間ではない山や川、船舶、梵鐘等の自然地形や事物に人名の様な名称を付けるのか?物にも霊力を認めていた昔の日本人の姿とは、どの様なものであったのか?物語の登場人物や作者、読者を供養するとは一体どういうこと?日本語、日本文化、そして、日本人にまつわる言語文化や歴史の話題を分かりやすく解説。カラー大画像データも満載。中学生以上向き。国語学習、社会文化史学習等にも幅広くご利用いただけます。
版型:B5版 ページ数:238ページ 価格:2,999円(税込) ご注文は下記より
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⑧災害対処の文化論シリーズ Ⅵ 韓半島における災害情報の言語文化
~倭国に於ける災害対処の文化論との対比~
韓半島地域を対象とした災害対処文化の歴史を取り扱った唯一の書籍です。倭国へ漢字を公伝させたとする、隣地、韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないですが、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測されます。その中においても、様々な災害記録が残されているのです。そうした自然災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、日本へも影響を与えていたのでしょうか。本書では、そうした問題視角より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものです。具体的には、1145年、高麗の仁宗(17代)の命に依り、金富軾等19名の史官等が編纂、担当し、進上したとされている「三国史記」を素材として取り上げながら、自然災害関係記事の内容、編纂意図や位置付けをも、言語文化、文化論の観点より探りました。各記事の内容分析に際しては、地盤に関わる災害、気象災害、天文現象、その他に類別し、当該記事に記載された現象自体に対する追究、それが記事として登載された意義に関しても検証作業を実施しています。天文現象と災害との関係とは?韓半島で一番多く発生していた自然災害は何?日本を災害発生と関連付け、警戒し、敵対するようになっていたのには何と2,000年もの長い歴史があった!!!こんな疑問を分かりやすく解説!!中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:317ページ 価格:3,671円(税込) ご注文は下記より
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⑨災害対処の文化論シリーズ Ⅶ 韓半島における災害情報の言語文化
~三国遺事にみる災害対処の文化論~
「三国遺事」は、新羅国、高句麗国、百済国に関わる古記録、伝承等を収集、編集し、そこに就いての遺聞逸事を記した書物です。高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206年~1289年)に依り撰述され、一部分はその弟子であった無極が補筆したとされています。全5巻より成る一然禅師晩年の作です。ただ、その内容には先行する「三国史記」(1145年)を大いに参照した形跡があり、決してオリジナル性が高いとも言えません。正史である「三国史記」を日本に於ける「日本書紀」、後発の「三国遺事」を「古事記」的な立場に位置付ける見解もあります。本書では、この様にして成立した「三国遺事」に記された、自然災害、人為的災害関係記事の内容、その編纂意図や位置付けをも、言語文化、「災害対処の文化論」の視角より探ってみました。その際には、上で確認をした、編纂物としての本書の特徴、特質、仏教との関係性に関して十分に留意をしました。各記事の内容分析に際しては、地盤に関わる災害、気象災害、天文現象、その他に類別し、当該記事に記載された現象自体に対する追究、それが記事として登載された意義に関しても検証作業を実施しています。仏説と災害との関係性とは?嘘のような本当の話の中に秘められた災害事象とは何か?ウイルスも鬼の仕業?仏教の正当性を主張する為に利用された災害の数々!こんな疑問を分かりやすく解説!!中学生以上向き。地域学習、講演資料、防災・災害学習等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:252ページ 価格:2,980円(税込) ご注文は下記より
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⑩災害対処の文化論シリーズ Ⅷ 日本の古典に見る災害対処の文化論
~日本的無常観の形成~
作品としての日本の古典に見る対災異観、対自然観を、具体的な事例を取り上げながら取り扱ったものです。平安時代~鎌倉時代にかけての人々が、何を怖いものであると感じていたのか、何を忌むべきものであるとしていたのか。また、年中行事にはどの様な意味があったのか。それらを調べることによって、危機管理の在り方が浮かび上がってきます。この本では、竹取物語、伊勢物語、土佐日記、古今著聞集を素材として取り上げました。竹取物語と富士山に隠された意外な関係性。数字の「3」の謎とは?謎の呪法「天の逆手」とは何か。井戸に吊るされた正月に飲むお屠蘇のなぜ。鬼よりも怖い海賊の恐怖!!目には見えない「モノ」への対処法とは?土佐日記を書いた紀貫之の悲しみとは?幻覚の恐怖と孤独。人による里山への進出と動物たちとの軋轢。元々日本にはいなかった猫!こんな疑問を分かりやすく解説!!カラー大画像データも満載。中学生以上向き。国語・日本文化学習、防災・災害学習、講演資料等にも幅広くご利用いただけます。資料集としてもご活用いただけます。
版型:B5版 ページ数:306ページ 価格:3,731円(税込) ご注文は下記より
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⑪災害対処の文化論シリーズ Ⅸ 日本の古典に見る災害対処の文化論
~「今昔物語集」の霊鬼~
奈良時代を経過して平安時代に入ると、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対災異観、対社会観の表出が、日記、古記録や文学作品等を中心として見られる様になって来ます。本書では、日本に於ける対災害観、対災異観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」―「今昔物語集」をその素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものです。作品としての文学、説話の中に如何なる対災害観、対災異観の反映が見られるのか、あるいは、見られないのかに関して、追究を試みたものです。ここでは日本人と日本文化の基層に迫ります。説話ごとに項目をたて、画像データも豊富に掲載。分かりやすい内容です。中学生以上向き。社会文化学習や講演の資料としてもご利用いただけます!!
また、本文で使用しております活字のサイズは、12ポイント(見出し等は14ポイント)で、通常よりちょっと大きく、とても見やすくなっております。
版型:B5版 ページ数:274ページ 価格:3,410円(税込) ご注文は下記より
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韓半島と越国:
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災害対処の文化論シリーズⅠ:
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災害対処の文化論シリーズⅡ:
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災害対処の文化論シリーズⅢ:
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災害対処の文化論シリーズⅣ:
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災害対処の文化論シリーズⅤ:
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日本語と日本文化の歴史基層論:
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災害対処の文化論シリーズⅥ:
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災害対処の文化論シリーズⅦ:
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災害対処の文化論シリーズⅧ:
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災害対処の文化論シリーズⅨ:
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電子書籍について;
以上の作品は、電子書籍電子版、電子書籍製本版です。電子版は印刷、製本、配送費用が不要なので、お得にご覧いただけますし、今すぐに読むことができます。製本版はオンデマンドにより、ご注文を受けてから、1冊単位で印刷、製本し、ご指定の場所まで直接配送するものです。通常、お申込みより3日~8日でお手元に届きます。何れも随時、最新の知見を反映させるため、内容の更新を行なっておりますので、お手元にお届けするのは最新版となります。一般の書店では手に入れることのできない限定品です。ご購入代金のお支払いには、クレジットカード決済、コンビニ決済、電子マネー等がご利用いただけます。製本版は、B5版(版型)、無線綴じ・左綴じ、カラー印刷(大型画像とも)、ホワイトしらおい(本文用紙)、表紙カラー&ラミネート加工なし(用紙:硬め)の装丁となっております。また、本文で使用しております活字の大きさは、12ポイント(見出し等は14ポイント)で、とても見やすくなっています。通常の書籍では、活字の大きさは、10.5ポイント~11ポイントです。
戦国時代に関する著作:
越後上杉氏と京都雑掌(ざっしょう) 戦国史研究叢書13
出版社:岩田書院 発行:2015年5月 価格:9,504円(税込)
版型:A5版 ページ数:357ページ
内容:
戦国大名上杉謙信に至る北陸の勇、越後上杉氏。軍事力や経済力だけではないその強さは、京都を舞台とした外交交渉の場でも発揮されていた。上杉氏と契約を交わした異色の在京武士神余(かなまり)氏による、したたかな交渉術の数々。情報戦の重要性を認識していた上杉氏が京都で展開していた立ち回りの様子を、分かりやすく解説!!外交官武士とは、どのような侍であったのか?神余氏が戦国の京都で見た景色や夢とは、一体どの様なものであったのか?好評発売中!!
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著者のhitokoto日記:
先日、北海道の河川で、鮭の不法漁獲行為があったというニュースが報じられました。そこまでならば、日本のあちこちでも見られる不法行為(密漁)と言うことなのでしょうが、それを行なったのが、今回、アイヌ人(の末裔)ということで、物議を醸しました。彼らの主張の根拠は、後からやって来た「和人(わじん)」の指示は受けない、というものです。北海道の振興局職員が、事前に制止したにも関わらず、受け入れてはもらえず、結果として水産資源保護法違反に問われてしまったとするものです。ここでは、その是非に就いて論じようという訳ではありません。抑々、「日本(倭国)」の版図は、奈良時代当初を基準に考えてみても、現在の東北地方を除く本州、四国、九州中部以北、並びに、これらに附属する島嶼群でした。平安時代に入り、延長5年(927)に完成した「延喜式 卷十六 陰陽寮」には、儺(だ)祭(鬼遣い、節分の起源)の執行に際して、陰陽師が進読する祭文の詞の中に、「穢惡伎疫鬼能所所村々尓藏里隱(カクリカクラ)布留乎浪。千里之外。四方之堺(ホトリ)。東方陸奥。西方遠値嘉(五島列島の福江島の古称)。南方土佐(左)。北方佐渡與里乎知能所乎。奈牟多知疫鬼之住加登定賜比行(マケ)賜氐」という文があります。これに従うならば、少なく共、10世紀に入った段階では、疫鬼の存在を認めないとする日本の王権が支配した領域の限界が記されています。東方の境界は陸奥国(東北地方の太平洋側地域)、北方は佐渡国(新潟県)、南方は土佐国(高知県)、そして、西方が遠値嘉(長崎県五島市)であるという認識を示しています。日本の古代以来の国家としての政策は、こうした日本の既存領域を周辺地域へと拡大させて行くことでした。つまり南進、北進とが、王権に依る重要政策としてあったものと見られます。そうした地域の居住民がこれに従わないのであれば、軍事力の行使をも厭(いと)わないという考え方でした。そこには、中国王権を模倣して来た小中華、小宇宙としての島国日本の在り方が反映されている様にも見られます。こうした思考は近世、近代まで、継続的に行なわれ、紆余曲折はあったものの、結果として、沖縄県の与那国島から北海道の宗谷岬までが日本の領域となりました。つまり、「日本人」と「日本民族」という語に就いて検討した場合、日本では上記の版図拡大政策、そして、古代以来続いて来た多くの渡来人の流入(日本が招請したものと、そうではないもの。移住民。漂流民等)もあり、人類学的な形質をも含めて、「日本人」(日本居住民。日本国籍を持った人)は現在でも多く存在するものの、「日本民族」の方は恐らく、長きに渡る混血の影響に依り、1人も存在してはいない可能性も想定されます。無論、「民族」の語には多様な定義がありますが、「一定地域で共同の生活を長期間に渡って営み、その社会への帰属意識を共有する集団」を適用するならば、「日本民族」の方も、皆無ではないのかもしれません。「多様性を受け入れ、理解すること」が異文化理解の基本であるとするならば、日本の中に存在する、歴史的経緯よりの異なった文化や、それを継承している人々に対する理解や寛容性、そして、権利の保護がもっとあっても良いのかもしれません。(2020年8月24日)
新型コロナウイルス(疾患名称:COVID-19、ウイルス名称:SARS-CoV-2)の拡散が日本国内でも中々終息に向かいません。内閣官房「新型コロナウイルス感染症対策」においても、「不要不急の外出及び「三つの密」(①密閉空間、②密集場所、③密接場面)が重なる状況を避けるようにし、自己への感染を回避するとともに、他人に感染させないよう徹底しましょう。」と広報されています。いわゆる、「三密」を避けてください、ということです。ところで、この場合の「三密」は造語として使われている新しい言葉ですが、元々存在していた「三密」の語はちょっと違った意味合いで使われていました。朝鮮半島・韓半島における記録書(仏教説話集)である「三国遺事」の巻五に記された「惠通降龍(龍を退治した)」の逸話では、「憤悱(ふんぴ。口には出さないが、もどかしくて心中では憤ること)立於庭。頭戴火盆。須臾(しゅゆ。本来はインドに於ける時間の単位。暫くすると)頂(頭頂部)裂聲如雷。藏(無畏三蔵)聞來視之。撤火盆。以指按裂處(指で傷口を撫でた処)。誦(となえる)神咒(しんじゅ。霊妙な呪文)。瘡(切り傷)合如平日(元通りになった)。有瑕(きず)如王字文(王の字の様な形状であった)。因號王和尚」と書かれています。つまり、中国真言密教の確立者であった無畏三蔵に入門を果たしたいと願っていた新羅僧恵通が、なかなか願いを聞き入れてもらえなかったために、キレてしまったというものです。彼は頭上に火鉢を乗せ、暫くすると頭頂部が雷の様な音と共に裂けてしまった。普通の人ならば、即死してしまう状況ですが、無畏三蔵は、恵通の裂けた頭頂部の傷口を指で撫で、神咒を誦えた処、傷口は元通りとなり、そこに王字文の残されたことが、王和尚とした恵通の別名の由来であるとしているのです。ポイントは、神咒を誦えた後に、傷口が治癒したとしている処です。神咒には、科学ではない霊妙な言語に依る医学の力が宿っていたことになり、それは、「三密(さんみつ)」の語で表わされる、仏教上の理想的行為に基づくものであったらしい。三密とは、秘密の三業(さんごう)のことであり、それは身(しん)、口(く)、意(い)に依り行なわれるもので、密教に於ける身密(手に印を結ぶ)、語密(口密。口で真言を唱える)、意密(心密。心で本尊を観念する)に相当した。これらは仏や衆生の身体、及び、言語、心に依って行なわれるものなのです。続きは、『災害対処の文化論シリーズ Ⅶ 韓半島における災害情報の言語文化 ~三国遺事にみる災害対処の文化論~』でどうぞ!!(2020年4月16日)
新型コロナウイルスの拡散が全世界的に深刻な状況となっています。特に、米中の間では、その発生や対処を巡り、非難の応酬もありました。アメリカのトランプ大統領は、この感染症を「中国肺炎」と呼び、一方の中国では、このウイルスをアメリカ軍が武漢に持ち込んだ、などと主張して譲りません。この期に及んで、とても生産性のある話ではありませんが。ただ、トランプ氏が「Virus」の語を「バイラス」と発音するのは、日本人がウイルスと発音するのに比べて、正確なのかもしれません。ところで高麗王朝期に、一然という僧侶によって作成された、「三国遺事」の「密本摧(くじく、くだく)邪」という逸話の中には、細菌やウイルスによるものと見られる感染症の話が出てきます。そこには「毎見一大鬼率群小鬼來。家中几有盤肴、皆啖嘗之」と記されており、家の食品に群がる大鬼と小鬼の様子が描写されています。そして、その直前に記された「阿孩時。忽口噤體硬。不言不遂」(乳児であった時、急に喋ることができなくなり、体が硬直し、成長が止まった)とした記述からは、乳児ボツリヌス症の発症が疑われるのです。乳児ボツリヌス症は、生後12か月未満の乳児がボツリヌス菌芽胞を経口摂取した場合、乳児の消化管内で増殖した菌に依って産生されたボツリヌス毒素が作用し、発症するとされています。乳児ボツリヌス症が発症する原因飲食物として明らかとなっている食品は、蜂蜜です。日本では、1986年~2017年2月間の症例では、36事例が認められています。乳児ボツリヌス症では、便秘、元気が無い、母乳を飲まない、泣き声が小さい、瞼(まぶた)が垂れ下がる、首がすわらなくなる、そして、腕や足へ左右対称の麻痺が進行すると、くにゃくにゃとした状態になるとされています。呼吸を行なう為に必要な筋肉迄、麻痺すると、人工呼吸器に依る治療が必要な場合もあるものの、現在では、対症療法が功を奏した場合には、乳児ボツリヌス症の経過は良く、アメリカに於ける死亡率は1パーセント以下であると報告されています。古代社会における乳幼児の死亡率の高さとは、医療環境の未整備、衛生意識の低さという当時の社会的な状況だけではなく、こうした(不衛生な)食品や飲用水等に起因した事例よりも窺うことができます。見た目や、臭いだけからの情報では、それが飲食可能なのか、否か、判断することが難しかったことも考えられるのです。人に害悪や災異をもたらす恐ろしい存在は、古来、半島でも日本でも中国由来の「鬼」として認識されていました。現在では、何でもない疾病でも、当時としては命に関わる重大な疾病であったことが想定されます。(2020年3月24日)
5月1日には通常改元され、前日から大晦日、お正月騒ぎの様な社会の様相でした。三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)を除く八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)も、ご本人の目前で無事に継承されました。本当に、箱の中に何かが入っているのかどうか、ほとんど誰も見たことが無いとされています。天皇でさえ、中を開けて見ることはないとされます。今後、10月22日(火曜日。今年のみの臨時祝日)には即位式に当たるセレモニーがあり、11月14日~15日にかけては、即位に関わる最大で最重要の行事である大嘗祭(だいじょうさい)が天皇自身により執行されます。日本文化、日本人、そして、日本自体の根源にも密接に関わる最重要の祭儀であり、核心部分には口伝・秘儀の大原則があります。学説や推測は色々とありますが、実際に、皇居に仮設される悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)内において、何が行なわれているのかは、釆女(うねめ。女官)が2人補助を行なうものの、歴代天皇しか知りません。無論この祭儀は、毎年11月下旬に行なわれる新嘗祭(にいなめさい)の延長線上に考えられますが、全く同一の内容、目的を持った祭儀では無いと推測されます。建物内部には、真床覆衾(まとこおうふすま)が設けられているとされます。衾とは寝具です。毎年の新嘗祭の中心は穀霊の慰撫とその霊力の取り込みですが、大嘗祭では、それに加えて、女神アマテラスを中心とした神々と今上天皇との関係性が問題となります。真床覆衾はアマテラスたちが降臨する為のものであり、新天皇はその霊力を体内に入れ、更には太陽神と合体するのではないかとする見解もあります。そうして霊力を得た新天皇はこの地上の支配に臨むのだと。いささか前方後円墳的なものの見方かもしれませんが。勿論、穀霊の慰撫と言う観点よりは、新天皇と神々との共食も大きなポイントとして位置付けられます。なぜ、伊勢神宮が外宮と内宮とに分かれているのかを考えるならば、その理由は自然と浮かび上がってきます。朝鮮半島の記録書「三国史記」に見られる「嘉禾(かか。禾は稲)を献ずる」祭儀が新嘗祭、大嘗祭の源流であった可能性に就いても考える必要性があるものと考えます。大嘗祭は、ヤマト王権以外の王権が分立・支配をしていた古代以前の時代に於ける日本のあり方、ヤマト王権による日本支配の拡大とその正当性主張とをうかがわせる、天皇代がわり最重要の行事であることに変わりはないものと考えられます。(2019年5月25日)
いよいよ改元手続きが本格化しました。新元号(年号)も「令和」と発表されました。ところで、これまでの日本の元号の内、「和」の語は、承和、仁和、正和、文和、明和、昭和などの様に、とても多いのですが、「令」の語の方は、1つも使用されてはいません。「令」の語自体は、律令や近江令、令集解、勅令、令外官、県令、等のように、日本史のテキストでは良く見る事ができます。それでは、この馴染みのある語が、なぜ、元号の文字としては使用されなかったのでしょうか?偶然そうなった、ということも考えられますが、「令」の語の頻出性からは、その仮説は否定されるのかもしれません。これは推測ですが、上記で挙げたように、「令」の語は法令や職制と関わり合いが深い為に、元号を構成する語としては避けられて来た可能性があります。それから、「令」の語には立派だ、好ましいという語義が存在する一方で、命令するとか、他者に対して「~をさせる」といった使役の意味、用法もあり、元号には馴染まないと考えられて来た可能性も考えられます。更に、音韻の観点よりは、「令」(れい)が「霊」や「零」に通じることから、相応しくない、と判断された可能性があります。「死」が「四」と音が通じる事から、部屋番号や、駐車場の番号には使われないことが多いことと、同じ理由です。しかしながら、それ故に、現代社会では目新しさも感じ取ることができ、新しい時代には、却って、相応しいのかもしれません。何れにしても、令和時代が平穏で、平和な時代になることを願うばかりです。(2019年4月4日)
今日で東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生より8年目となりました。日本列島は南北方向に細長い形をしていますが、「地震」に限定して見た場合、日本海側地域と太平洋側地域とでは、前回に発生していた大きな震災と、今回の大きな震災との時間的間隔、いわゆる、「間災期」の長短は決定的に大きく異なります。後者では、それが著しく短く、今、生きている人が複数回もの被災(地震、津波による被害)をしてしまうということもあります。この様なことは、前者の地域ではあり得ません。恐らく、前者での「間災期」は500年以上(文献史学分野よりの検討)、後者では数十年です。そうであるとするならば、太平洋側地域では、前回の被災体験を、被災者本人より、次代の人へ直接的に語り継ぐことが可能となります。実際に現代の「語り部(かたりべ)」として、自らの被災体験を伝える活動をしている方もおられます。しかしながら、その手法をも含めた、地震・津波の碑、「自然災害(震災)遺構」、標語的手法といった、被災情報の次世代への伝承方法の何れもが、太平洋側地域に於いて採用されているものであり、日本海側地域では、ほとんどと言っても良い程、見られません。日本海側地域では、「間災期」が余りにも長い為、そうした手法が有効に機能してはいないのです。そのことは、日本海側の地域に於いて、複数の道府県に渡る様な、広域的な地震、津波災害が発生していなかったことを意味してはいません。実際、山形県鶴岡市湯野浜地区に於いては、標高約37.9メートル地点での津波遡上痕跡が検出されているのです。この高さは、東日本大震災時に於ける津波遡上高(岩手県宮古市田老地区で約37.9メートルの津波遡上高が確認された)と変わりがない高さです。即ち、かつての海底地震に於いて、日本海側地域にも、高さ20メートルを超える様な大きな津波(岩手県大船渡市では高さ約23.6メートルの津波が確認された)が襲来していたことになります。良くも悪くも、日本人の感性として、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というものがあります。古来、自然災害が多発していた日本では、早く次のステップに踏み出す必要があったのです。その自然環境の違いより、日本人の感性は東アジア某国の様に、絶えず歴史を引き合いに出すそれとは明らかに違います。朝鮮半島も、東南部では中規模地震が発生したりもしますが、それを除けば、震災は非常に少ないのです。(2019年3月11日)
謹賀新年!!本年の皆様のご健勝、ご多幸を祈念申し上げます。ところで、明日正月七日は「七草粥」の日です。スーパーマーケットやコンビニエンスストアーでは、既にパックへ詰められた七草粥セットが販売されています。私の家でも、神奈川県三浦半島産のパックを購入しました。そこで一般的には、今日の夜、「まな板打ち」を行ないますが、その際に歌われる囃し歌の中に「唐土の鳥が渡らぬ先に~」という一節があります。唐土、即ち、西方より渡って来る鳥が日本に来ない間に、七草粥の準備をしてしまいましょう、と言うものです。ここで出現する鳥とは、単なる渡り鳥では無く、疫病(伝染病)を日本列島にもたらす鳥類であるものと推測されます。つまり、高病原性鳥インフルエンザに罹患した鳥類が日本に渡って来ることを、昔の日本人は既に知識として持っていたことになります。日本や朝鮮半島の人々にとって、西の方角性には非常に大きな意味がありました。そこには、中国大陸が広がり、良いものも、悪いものも、そこからやって来たからです。日本において、地蔵を西向きに置く慣習(西向き地蔵)があるのも、その方向よりの鬼神の侵入を阻止したいという思考によるものです。日本人にとって、鬼門である東北方向と共に、西の方角も又、警戒するべき方角観であったのです。その名残が「七草粥」の習俗の中にも、見て取ることができます。(2019年1月6日)
今年も残り僅かとなりました。今年は、「平成最後の年」が合言葉のようになっていました。確かに来年の5月には、御譲位に伴う「改元」が実施され、昔風な言い方では、「人心が一新される」筈です。教科書に載っていた「一世一元の制」との整合性も取り沙汰されてはおりますが、それが良い方向へと向かうことを祈念致します。また、来秋には皇室神道最大で、最重要な祭儀である「大嘗祭(だいじょうさい)・大嘗会(だいじょうゑ)」が執行されます。これもまた、現在の憲法の下での政教分離、信教の自由原則との整合性が課題となるのかもしれません。この祭祀は、朝鮮半島に於ける記録書である「三国史記」にも記載のある、「嘉禾(かか)を献ずる」祭儀が、1つの源流として想定されるのかもしれません。大嘗祭の核心的な部分は秘儀であり、口伝に依ります。しかしながら、それが「米」や穀霊と密接な繋がりのあることは、推測することが可能なのかもしれません。(2018年12月19日)
本日は、平成23年(2011)3月11日発生の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)より、丁度、7年目の日でした。皆様、その時刻には合掌をなさったものと想定します。私も、自分の書く文章の中では、「想定」という語を好んで使います。それは、対象が人文科学だからです。人文科学だから許されるのです。これが自然科学では、状況は違います。少なくとも、地震や津波の同規模での再現実験や検証が出来ない以上、理屈上では想定も出来ないことになります。もし、想定が出来たとするならば、それはデータとして存在するだけの、「机上の空論」、「砂上の楼閣」であるのかもしれません。自然科学分野でも、想定が可能となるのは、地震や津波の発生そのものを、科学の力で制御出来た日となるでしょう。東京電力ホールディングスは、今でも「想定」という語を比較的多く使います。福島県沿岸域に押し寄せる津波の遡上高を想定することが出来なかったその企業がです。自然災害は、無ければそれに越したことはありませんが、残念ながら、日本に於いては、ほとんどの自然災害発生を、今日的科学技術の力を以ってしても、抑えることは出来ません。そうであるとするならば、抑えることが不可能な自然的事象に対して、勝手に「想定値」を設定し、それらに対処しようとする姿は甚だ滑稽であり、ナンセンスでもあり、全く意味をなしません。現段階では、災害に繋がり得る自然的事象に対しては、遊びの部分を広く確保し、謙虚な姿勢を取る事こそが、次の災害の防災、減災に繋がるという認識を持つべきでは無いでしょうか。次の大きな自然災害の準備は既に開始されています。(2018年3月11日)
2月7日と14日の2回に渡り、新潟県柏崎市主催のシニアカレッジで講師を務めました。当地の来歴を解説するもので、私は古い方の時代を担当しました。当市は決して新しい街では無いのですが、何故か、古いものが余り残存してはいません。その理由は、昔より、北前船の寄港地であったからとか、最近では、原子力発電所の立地点で、人の出入りが激しいから、などど片付けられてしまうことも多いのです。しかし、北陸、新潟県域を含めて言えることなのですが、「西方」よりの文化の影響が非常に大きいということです。当市で発掘調査された「西岩野遺跡」は、弥生時代後期の環濠集落跡で、方形周溝墓よりは、主要被葬者として、女性の遺体が出土しました。つまり、当地にも邪馬台国の様な「クニ」が存在し、そのリーダーとして、卑弥呼の様な女性首長がいたのかもしれないのです。しかも、それは日本海側最北端に位置していたことになるのです。倭国の北限がどこまでであったのかを探る上で、重要なヒントを与えてくれる可能性がありそうです。そこで、彼らが一体、ここで何をしていたのかが問題となりますが、「海人(あま)」集団に依り、西方より持ち込まれた稲作(苗代方式)や製鉄に従事していた可能性が濃厚であると推測をしています。(2018年2月14日)
最近、中央構造線に沿った地域での地震が見受けられます。豊後水道、愛媛県南予、徳島県南部、淡路島、紀伊水道、和歌山県北部、そして、地震のイメージがあまり無い奈良県など。歴史的には、文禄5年(1596)閏7月9日の大分県別府湾付近(M7.0)、同13日の京都・奈良付近(M7.5)を始まりとした、いわゆる一連の「慶長地震」を想起させます。前者は「瓜生島沈島伝説」を生み、後者の地震では、豊臣秀吉は京都南部にある伏見城内で死にそうになりました。この地震発生の9年後、慶長9年12月16日、千葉県~九州までの沿岸部地域に大規模な被害を与えた地震(M7.9が2回)が起こりました。連動地震ではないかとする説もあります。更にこの6年後、今度は東北地方~北海道沿岸部地域が大規模に被災した「慶長の三陸沖地震(M8.1)」が発生します。慶長年間の直前に起っていた「天正地震(1586年、M7.8)」でも、東海・北陸・近畿地方は大きなダメージを被っていました。江戸時代幕末の「安政年間(1850年代)」に頻発した一連の大きな地震も民心を不安に陥れました、私的には、江戸幕府滅亡の時期を早めたものと考えています。慶長地震でも民心は動揺し、合戦の無い安定した治世を望む方向へ流れて行ったことは十分に考えられます。ごめんなさい!!大晦日にする様な話題ではありませんでした。ただ、「備えあれば憂いなし」、「治にいて乱を忘れず」です。新しい年、その様なことが起こらないことを願うばかりです。(2017年大晦日)
お正月飾りの「門松」がいつ頃、発生したのかは良く分かっていませんが、平安時代に行なわれていた「子(ね)の日の遊び」で採取された「根引きの松」が1つの起源である様に考えられます。松は常緑であり、生命力を表現するとも言われます。門松のもう1つの構成要素が竹です。こちらも、やはり青々としており、生命力を象徴するとされます。門松にセッティングされるこの2つの植物には共通点があります。門松に飾られる竹は、通常、先端部分を斜め切りにし、鋭利にして上を向かせます。松葉も先端は鋭利です。鋭利なものを苦手とする存在は「鬼」です。年末に柊(ひいらぎ)を飾る習慣も、家内に鬼が侵入しない様にとの、年末の年中行事「鬼遣(おにやらい)」に因みます。中国風には、「追儺(ついな)」です。従って、「鬼遣」は必ずしも大晦日の行事ではありませんでしたが、その後、日本社会では旧暦の大晦日の行事、節分へと転化しました。元々、中国では「儺(だ)」には夏の儺と冬の儺とがあり、夏に行なわれた儺は皇帝専用で、庶民には認められませんでした。恐らく、追儺は奈良時代~平安時代にかけての時期に日本へ伝播し、一旦、宮廷行事として整えられます。いつ頃それが民衆の間で実施される様になったのかは不詳ですが、京都相国寺の瑞渓周鳳に依る記録である、「臥雲日件録(がうんにっけんろく)」では、1400年代前半期には、熬(い)った豆を使用した豆撒きが、立春前日の夕刻、臨済宗相国寺の中で、鬼払い行事として行われているので、室町初期頃ではないかと推測されます。「門松」の話しに戻りますが、それが現在の様なスタイルに整えられたのは江戸時代に入ってからであると考えられます。そもそも、真竹にしても、孟宗竹にしても、「竹」が元々、日本の固有種であったとするのには異論があります。米や茶の様に、中国、半島より持ち込まれていた可能性も排除することは出来ません。例えば、鯰(なまず)も、元々は日本に生息してはおらず、大陸より持ち込まれた動物であるとする説が有力です。中世まで、鯰は琵琶湖以東にはいませんでした。江戸時代になって、人為的に関東へ持ち込まれて繁殖しました。平安時代には、蒲鉾の主原料は鯰などの川魚でした。「鬼」自体も中国より伝来した思想です。奈良県桜井市にある「纏向(まきむく)遺跡」よりは大量の桃の種が出土しました。食用ではありません。鬼を駆逐する祭祀に使用されたものと考えられます。中国より伝来した鬼を、やはり中国より伝来した桃を使って駆逐したことになります。(2017年12月30日)
今年も。いよいよ終わろうとしています。ただし、韓半島北部地域を巡る政治、外交的な情勢は安穏の内に締め括られた、とは行かずに新年を迎えようとしています。北朝鮮籍の小型木造船や御遺体は、私の住む町の海岸へも度々漂着しています。当該木造船にまつわる内容に関しては、著書の中でも詳述しておりますので。ご興味があればご覧下さい。ところで、この課題を語る上で欠かせない存在が、今も昔も中国「王権」の在り方です。かつて、半島を舞台に繰り広げられていた新羅国、百済国、そして、直接的に大唐と国境を接していた、北方の強国である高句麗国。高句麗は、ほぼ現在の北朝鮮領域と重なります。西暦663年に発生した白村江の戦以降、倭国の覇権は半島より駆逐され、670年代前半期にかけての時期には、旧高句麗、旧百済領域に対する唐の触手が伸ばされ、軍事的侵攻、調略、そして、新羅国の文武王に対する「羈縻(きび)政策」の実施にも見られる様に、硬軟両様の政策を以って南下をして来ます。しかしながら、これに対して、新羅国も硬軟両様の外交政策も併用しながら接しましたが、最終的には軍事力(戦勝)で以って、大唐の半島への野望をくじきました。特に唐による「羈縻(きび)政策」は、直接支配方式や冊封方式での周辺国への影響力行使に際して、段階的に実施されて来た形跡も認められます。これは歴史上の話しだけではなく、今後に於いて、その形を変えながらも、沖縄・琉球に対する支配権の主張の中で復活する可能性があるかも知れません。来年も韓半島情勢とあわせて、南西諸島方面に対する興味も持ち続けていかなければならないのかもしれません。東アジア世界では、「力」の存在は不可欠です。そこには無論、軍事力も重要な素因として位置しますが、それだけではありません。経済力、教養に基づく熟達した交渉術、文化的な成熟度、情報の発信力、長期・中期での国家運営戦略の方針があるか、否かなど。この新羅国による対唐戦争の経緯は、韓半島情勢の今後を見て行く上で、一定の示唆を与えてくれるのかもしれません。(2017年12月26日)
昨日(12月1日)、皇室会議が開催され、今上天皇の御退位の日程が決まりました。なぜか、議長を務めた安倍晋三総理大臣は、ちょっと浮かない顔でした。平成年号も31年をもって終了することが決まったのです。ところで、近代以降の元号は「一世一元の制」により、1人の天皇治世で1つのものを継続使用することになっていますので、話は別なのですが、近代以前の元号は、必ずしも、そういう訳ではありませんでした。1人の天皇治世で、いくつもの元号を使用することは、寧ろ、普通のことでした。元号を変更する、つまり、改元(かいげん)ですが、「慶雲(けいうん)」(704~708)、「神亀(じんき)」(724~729)などの様に瑞祥に基づく改元もありましたが、自然災害等が契機となった「災異(さいい)改元」も多く行われ、1つの年号は中々長続きはしませんでした。極端な場合には、元年しかない、といった元号も結構多く存在していました。従って、近代以前に2けたにまで至った元号は、珍しいということができるでしょう。その様な中にあって、「応永(おうえい)」年号(1394~1428)は、なんと35年まで続きました。ちょうど、室町時代の前半期に当たり、京都に金閣(鹿苑寺)を創建させた将軍足利義満や義持、義量の時代です。この年号は、昭和(64年)、明治(45年)に次ぐ3番目の長さなのです。つまり、応永時代は、改元する必要が無い=平和な時代、であったことになります。自然災害等の発生はあったものの、政治的な情勢では、応仁・文明の乱の前の時代で、室町将軍の威令もそこそこ保たれていた時期だったのです。日本文化論としては、1つの年号の長さが、平和度と比例関係にある、と言うことができそうです。中には、「慶長(けいちょう)」(1596~1615)改元に直接的に反対の意思を表明し、抵抗した後陽成天皇の事例もあります。元号は、中国の故事より選択した2字の漢字により作成されますが、古代においては、漢字4字よりなる、「天平勝宝(てんぴょうしょうほう)」(749~757)、「神護慶雲(じんごけいうん)」(767~770)などの元号も5つありましたが、全て奈良時代のものでした。さて、西暦使用も普通である現在において、なぜ、元号が使用され続けているのでしょうか?その答えは、日本には、王統(天皇家)が存在し、内閣法制局の見解に従えば、日本の国家元首が内閣総理大臣ではなく、天皇であるとされているからです。王権はその領域にいる全ての人々に対して、自らの決めた価値体系(度量衡や時間、貨幣、法など)の使用を強制的に行なわせる存在である、換言するならば、それができなければ、王権としての存在価値はないからです。それ故、古来、王権が発行した貨幣の偽造などは、死刑をも含む重罪とされました。王の定めた価値領域を侵犯したからです。その意味において、中世以降に発生した「私年号(しねんごう)」の存在は興味深いと言えるでしょう。私年号を使用したからと言って、処罰されたとする明確な事例が無いからです。「年号・元号」とは、まさに王権による「時間の支配」を具現化したものでしょう。(2017年12月2日)
本日、「災害対処の文化論シリーズⅡ」を大幅にリニューアルして販売開始致しました。サブタイトルも「室町時代より江戸時代の地震災害と対処の生活文化」へ変更しました。後半部分に江戸時代の地震対処の様子を追加しました。幕末期に当たる安政年間は、大きな地震が多発した大変な時代でした。それが世直しの気運に拍車をかけ、遂には討幕に至る大きなエネルギーにも変わって行ったことが分かりました。「鯰絵」は幕府に依る出版統制が強まる中、どさくさに紛れて刊行されていた錦絵(浮世絵出版物)でした。さて、そこに描かれていたのは?(2017年8月12日)
平成29年6月、福岡県筑前町所在の中原(なかばる)遺跡に在る竪穴住居跡より発見されたクリーム色をした台形の石片が、弥生時代後半期のものと見られる硯片(ほぼ完品)であることが判明した。その大きさは、最大長約9.4センチメートル、最大幅約7.4センチメートル、最大厚約0.7センチメートルで、重量は約66グラムであった。当該石片には、その中央部に擦り跡と見られる窪みが認められている〔「新潟日報」(新潟日報社)、2017年6月25日付朝刊、31頁(社会)、「弥生時代のすずり? 4例目 福岡の遺跡で出土 倭人が文書作成の可能性」記事、参照〕。即ち、相当の時間、使い込んだものであったのである。又、端の部分約4分の1程が焼け焦げたように黒ずんでいる。中原遺跡は、既に硯片の出土している、同県糸島市の三雲・井原遺跡より南東方向へ約38キロメートル程度、内陸部分へ入った場所にあり、玄界灘にも程近いロケーションを持った三雲・井原遺跡(標高約40メートル)とは違い、その標高は約25.7メートルではあるものの、海岸線よりは遠く離れており、倭国外への対外交渉の他にも、倭国内部に対する交渉事も、文字、文章を使用していた可能性が示唆されるであろう。内陸部であるから、文字の扱いに慣れていた渡来人の存在が希薄であるということは出来ず、河道の変遷が想定されるとは言え、中原遺跡はその周辺部を流れる現筑後川や現宝満川等の河川交通路を使用して、直接的に内海である有明海にアクセスすることが可能な立地にあったのである。有明海に面し、そうした河川河口部に在った水門(ミナト)から、より大型の外洋航海型準構造船に乗り換え(物品を積み替え)、韓半島や中国大陸をも見据えた形での東シナ海航路が開設、運用されていたことも類推され、その意味に於いては、中原遺跡の場所は、何らかの製品や資源の供給地として、温暖で自然災害の影響も比較的に受け難いという、安定したその立地を生かしながら、文字文化を繁栄させていたことが考えられるのである。そこには、文字言語技術者、東アジア情報提供者としての渡来人の存在が濃厚であると見られるのである。倭国に於ける文字使用は、以上の様な考古学的、物理的な成果より、紀元前後に迄、遡ることの出来得る可能性を示しつつあるのである。(2017年6月25日)
今日は地域の神社総代の方々の集会で、1時間ほどお話をさせて頂きました。演題は「柏崎刈羽地域の神社と自然災害 ~寛治の越後国絵図の謎、そして寛治年間(1087~1094年)~」でした。「寛治の越後国絵図」に就いては偽書説もあり、その真偽のほどは判然としていません。ただ、そこに描かれた新潟県域の地形は、現在とは全く異なります。ほとんど平野部が無く、現在の平野部に当たる場所は全て海底です。そこがいつ頃陸地化したのかは、はっきりとしていません。しかし、平安時代中頃に発生していたとされる大規模地震、地殻変動などにより、海底が隆起し、一瞬のうちに広大な陸地が出現したとする伝承も存在します。恐ろしい話ではありますが、自然に対しては、人間による上限としての「想定値」の設定には意味がありません。(2017年6月18日)
当地、新潟県内でも、2月には「天神講」が行なわれます。つまり、菅原道真の命日に当たる、25日を記念した行事です。私の家でも、お雛様の様なたたずまいを見せる天神様像等、3体の人形(陶器製)を飾っております。その2月も今日で終わりです。さて、本日、「日本語と日本文化の歴史基層論~平清盛・徳川家康・坂東太郎に見る呼称とうわさの文化~」を販売開始致しました。ぜひ、ご覧下さい!!日本語と日本文化の謎が満載です。(2017年2月28日)
謹賀新年!!
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年は、大きな災害が無い、良い一年になれば、と存じます。(2017年元旦)
昨夜、「電子媒体を使用した歴史学研究の可能性追究-柏崎市高精細デジタルアーカイブを事例として-」と題した市民大学特別講座・WEBミュージアム利活用講座を実施しました。意外なことに、受講者には、ご年配の方々、女性の方々が多く見受けられました。パソコンは中々に面倒だと思われるご年配や女性の方々が多いのかと思ったら、最近では、そうでもない様です。却って、地方だから、ご高齢だからこそ、インターネット、デジタルアーカイブの利便性が高いのかもしれません。高精細デジタルアーカイブは、非常に画素数の高いカメラで撮影をするので、文書にしても、立体感のある物にしても、最大限度に拡大をしても画面がとてもきれいです。その点では、画像資料を歴史学に止まらず、色々な分野の研究に供することが可能となり、情報の利用者としてはあり難い限りです。(2016年11月12日)
新潟県内でも、早いところで8月下旬には田の稲刈りをすることもあります。そうした田んぼでは、寒くなるまでに、かなりの時間的余裕がある為、一度稲刈りをした切り株より、再び青々とした稲が育ってきます。そして、10月も下旬になると、背丈30センチメートルぐらいに育った稲に、ちゃんとした稲穂が付いているではありませんか。勿論、これらのコメは収穫されることもなく、ただ、枯れて行くか、土に漉き込まれて行くだけです。こうした現象も、温暖化の影響でしょうか。ちょっと前までは、こうした光景を見たことはありませんでした。もう少しすると、新潟県でも、同じ株から、1年に2回、コメが収穫できる様になるのかもしれません。しかし、折角育った2回目の米、何とかならないものでしょうか?少し、可哀そうな気がします。
ところで、昨夜、市民大学講座、後期4回シリーズの最終回を行ないました。今回は、先ず「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の残りの部分と、聖武天皇期を中心とした災異観、疾病観をお話しし、「えやみの鬼、神」でまとめをしました。時間の配分が中々上手く行かずに、受講者の方々には、ご迷惑をお掛けしたことと思います。日本のあちこちにある八坂神社、祇園社がいかなる経緯で、全国展開して行ったのか、という話題に就いても解説をしてみました。(2016年10月28日)
新潟県立十日町高校で模擬授業を実施いたしました。テーマは「日本語の経緯(いきさつ) 四方山話(よもやまばなし)」です。時間は、90分間でした。高校の1コマの授業時間は50分ですので、聞いている生徒も大変だったのではないかと思います。また、ちょっと、歴史っぽい話になってしまったので、日本語の経緯とはイメージが違ってしまったのかもしれません。(2016年10月20日)
本年度、後期市民大学講座の第3回目講座を、今夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、今日も、前回に引き続き、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。そこで、古代の日本に於いて非常に気にされていたことがいくつかあります。その一つは、色彩に関わる認識です。古代日本では「白」こそが霊妙な色であり、特に地方の役人たちは、競って白い動物発見についての報告を都へ行ない、都人の歓心を買おうとしました。そこには陰陽五行説、陰陽五行色としての意味合いも、あったかもしれません。もう一つは、方角に関わる認識です。「日本書紀」には、方角に関する記述がたくさん記されています。その一つ一つには、そのことが実際に発生していた方向性を示そうとしていただけなのかもしれません。しかし、総体的にそれらを見た場合、そこには吉凶の判断や、政治・外交的な意図を読み取ることもできそうです。「地震波」のやって来た方向が分かった?というのは、すごいことだと思います。その真偽のほどは分かりませんが、古代日本人は、自然に対する感性がとても豊かだった様です。(2016年10月13日)
昨夜、市民大学講座の講師を務めました。いつもの災害対処の文化論シリーズとは違い、テーマは「日本酒の経緯と日本酒文化論 四方山話」でした。受講者の方々も、流石は酒どころの新潟県だけあって、酒豪揃い?です。米と水とを主原料として醸造される日本酒ですが、その醸造開始はコメの倭国への伝来以降であったものと、一般的には推定されます。酒には飲用用途だけではなく、祭祀や場の浄めといった目的にも使用されるという、神聖な側面もあります。日本酒も例外ではありません。日本酒と総称される酒ですが、古来より様々な製法や種類がありました。この講座では、そうした日本の酒の由来や文化を中心として、四方山話的に日本酒文化論を進めてみました。(2016年10月6日)
22日の木曜日に、NHK BSプレミアムの番組「英雄たちの選択」の収録作業を行いました。内容は、「上杉謙信による、究極の選択」、です。放送予定日時は、11月3日木曜日の20:00からです。どうか、ご覧ください。また、本年度、後期市民大学講座の第2回目講座を、昨夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、昨日も、前回に引き続き、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。昨夜は、神功皇后紀より清寧天皇紀にかけての部分を使用して、理解を深めました。古代日本人にとって、「白」という色彩感覚は、特別な意味を持っていたようです。前回の受講者アンケートでは、ちょっと難解、というご意見がありましたので、なるべく原文を読むことは止めて、最初から現代語訳をした文章で説明をいたしました。(2016年9月29日)
本年度、後期市民大学講座の第1回目講座を、昨夜、2時間に渡り実施いたしました。4回シリーズの本講座では、「みんなで日本を学習しよう ~自然災害と日本人、そして対処の文化論~」というタイトルのもと、昨日は、「『日本書紀』に記録された天皇不豫(ふよ)記事と自然災害観」の内容について、皆さんで学習をいたしました。この講座では、私が作成いたしました『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』(データ版、製本版)を使用しています。受講者アンケートでは、ちょっと難解、というご意見がありました。古代日本語が素材ですので、中々、分かり難いのかもしれません。(2016年9月16日)
残暑お見舞い申し上げます!!新潟県上越市が、上杉謙信の愛用刀「国宝 無銘一文字(山鳥毛)」を、約3億2千万円で購入することを決めたそうです。税金投入のほか、市民や事業所よりも募金を募るそうです。それはそれで結構なことだと思います。ただ、バブル期ならば兎も角も、今は公的機関が高額な美術品を購入、所有して、展示、管理する様な時代ではないのかもしれません。上越市長は、「ふるさとへの愛着と誇りが高まり、まちの活性化につながる」とおっしゃっているそうです(「新潟日報」8月24日付け朝刊より)。こうした美術品を、社会教育の一環として市民へ公開する方法は、購入してしまうのが手っ取り早いのですが、今回の様に億単位ということになってしまうと、そう簡単なことではありません。この刀は、現状、個人所有になっている様ですが、交渉次第では、地元の博物館・美術館等の施設で企画展・特別展を開催する際に、一定期間、拝借する方法もあります。また、一定期間寄託をしてもらって、市民へ公開する方法も考えられます。必ずしも、常設展示をする必要も無いのかもしれません。この刀も、元々は岡山市内の美術館に所蔵されていたものが流失し、現在は個人蔵でありながら、岡山県立博物館に寄託された状態となっています。「費用対効果」、という言い方もありますが、同額のお金があるのならば、地域に関わる課題解決に使用する方法も、あるのかもしれません。上記の電子書籍、製本版は、随時内容を更新し、最新の知見を反映させております。(2016年8月25日)
暑中お見舞い申し上げます!!今の処、予報されている程の猛暑?ではないようですが。もうあと一週間程で立秋です。暦の上ではもう初秋です。さて、「韓半島と越国 ~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~」と「災害対処の文化論シリーズⅤ ~ 浪分けの論理 水災害としての津波~」の内容更新を行ないました。一度、ご覧頂ければ幸いです。(2016年7月30日)
昨日、今上天皇が御退位の意向をお示しになった、との報道がありました。まあ、それはそれとして、客観的に見るならば、ご高齢のことでもあり、生きている人間としては納得の行くことなのかもしれません。しかし、それを国家の基幹に関わる制度として見た場合、非常に慎重にならざるを得ません。政府、与党の中にも天皇退位に対する慎重論はある様ですが、私もこの問題に対しては、或る程度の長い時間をかけて、じっくりと審議をするべきであると考えます。そもそも、原状では、天皇の職務の範囲は無用な程に拡大(解釈)されており、憲法や皇室典範に於ける本来の趣旨よりは、大きく逸脱している様にも見受けられます。天皇本来の業務とは、現代に於いては、宮中祭祀、並びに、行事を確実に執行しながら、それを後世に伝達することに尽きます。また、その血統を確実に次代へと繫げて行くことにあります。更には、自らが選択された学問領域に於ける追究を行なうことです。それが天皇家の存在価値であり、125代に至るとされる、王権に立脚した権威の源泉でもあります。
無論、憲法に規定されている一部、国事行為への関与も行なう必要はありますが、その中に、内外各地への御視察、被災地への御見舞い、御観覧、各種イベントへの御臨席、海外へのお出まし(いわゆる皇室外交)等が包括されるとは考えられません。即ち、現実的に発生している内外諸課題や各種の要請への対応は、第一義的には内閣、総務省、外務省等が担当をするべきであって、それらを天皇、皇族の業務に位置付けるべきではありません。日本国憲法の第1条~8条までは、その全てが天皇、皇室に関わる条文であり、それらが、仮に形式的なものであるにせよ、天皇には非常に大きい権能が付与されていることが分かります。それらは、内閣に依る助言や承認、国会の議決に基づくとはいえ、天皇、皇族の行為に関しては、その責任の所在は内閣に在るとされます。つまり、若し、現在行なわれているような、国事行為には属さないものと解される上記の行為に就いても、何らかの失敗が出来した場合、それは、一般論として、内閣の責任として処理されるということになります。因みに、憲法第8条までが天皇に関する規定であるというのには、古代日本に在っては、「8」が聖数であったこととの、関連性を想起させます。
現行憲法第5条には「摂政(せっしょう)」設置に関する規定があります。若し、天皇に病気、その他の障害が出来した際には、これを設置するべきであって、「退位」、で処理するべきではないと考えます。仮に退位で処理する場合、その判断は、いつ、誰が行なうのでしょうか?第一義的には、御本人と言う事にはなるのでしょうが、若し、それが恣意的な判断の許に行なわれた場合、それを阻止する装置は用意されているのでしょうか?歴史的に見るならば、天皇の退位、譲位は、その時々に於ける政治権力の意向や都合に依って左右されることが多かったのは事実でしょう。先日、参議院議員選挙が実施されましたが、そうした国政に関する自らの立場や権益を守る為に、悪意を持った内閣、与党が、「助言と承認」の手法を用いて、天皇退位を利用し、持ち出した場合、それをどの様にして阻止をするのでしょうか?取り分け、日本の皇室は、英国王室の様な独自の資産や可処分所得を持たず、その経費の全てを国費、即ち、税金に依って賄っていることも、そうした政治的介入に対しては、脆弱であると言わざるを得ません。また、天皇が退位した場合、歴史上では「上皇」となりますが、病状等が回復して、復活すること(重祚)は可能なのでしょうか?更には、いわゆる、「院」となられた前天皇が、比較的自由な立場を利用して、現天皇に対し、「院政」を行なう様なことは、絶対にあり得ないことなのでしょうか?
この問題を巡る課題は、皇室典範を改正するだけに止まらない、大きな問題を日本人に突き付けています。(2016年7月14日)
市民大学講座の第4回目講座を昨夜、2時間に渡り実施しました。市民大学前期4回シリーズの最終回に当たる本講座では、京都府、京都市内に所在する寺社、史跡等を中心として、小林が撮影をした画像をプロジェクターに投影しながら、レジュメを参照しつつ、実際の画像を見て「京都学」の学習を行ないました。それらは必ずしも観光地ばかりではないのですが、具体的には、鹿苑寺、慈照寺、御土居、丹後半島、晴明神社、八坂神社、清水寺、坂上田村麻呂の墓所、離宮八幡宮、大山崎山荘美術館、石清水神社、寺田屋、光悦寺、源光庵、御香宮神社、伏見稲荷大社、下鴨神社、蘆山寺、上賀茂神社、豊国神社、方広寺、耳塚、醍醐寺、大覚寺、野宮神社、二尊院、月の輪田等です。単なる観光案内に留まることなく、それらに如何なる文化的意味が有り、我々の生活文化へどの様な影響を与えているのかに就いても、分かり易く解説を行ないました。さて、災害対処の文化論Ⅱ、災害対処の文化論Ⅲ、データを更新致しました。ご覧頂ければ幸いです。因みに、今日は七夕です。日本の年中行事としては「乞巧奠(きこうてん)」です。すなわち、中国大陸より伝播した、牽牛、織女伝承が、平安時代に宮廷行事として整えられ、当初に於いては、女子が染色、楽器演奏、詩歌等の上達等を星に祈る「女子のお祭り」でした。残念ながら、新潟県では、今夜、天の川が見れそうにありません。(2016年7月7日)
市民大学講座の第3回目講座を昨夜、2時間に渡り実施しました。夜間にも関わらず、約50人の受講者の方々は、とても熱心に聞いて下さいました。テーマは「上杉謙信と京都 ―「上京(じょうきょう)」の源流! なぜ武士は都をめざすのか」です。京都は1,200年間に渡り、首都で在り続けたばかりではなく、武士、取り分け、戦国の大名にとっては、特別な意味を持っていました。その特別な意味や、彼らを引き付けたものとは、一体何であったのか。本講座では、室町・戦国時代の大名が上洛(上京)することには、如何なる経緯や政治的、文化的な背景があるのかを、受講者をも巻き込みながら、分かり易く解説を行ないました。特に、今回は、越後国の戦国大名であった上杉謙信、上杉氏を事例としながら、検証作業を進めました。途中では、ワイドショーで放映された、京都の老舗日本蕎麦店「尾張屋」さんの映像をも使用しながら、楽しく?講座を進めました。(2016年6月30日)
市民大学講座の第2回目を昨夜実施しました。テーマは「「ややこしい」人間関係 ―「行けず」な文化と侍の進出」です。京都に住む人々は、自らの殻に閉じ籠もり、取り分け、外部よりやって来た人々に対しては、閉鎖的な態度に出ることもあるとされます。そうした姿勢は、「行けず」という表現法で表され、時として、意地悪で、悪意を持ち、嫌な人々である、とした認識で、京都人以外の人々には受け止められることも有ります。しかし、それは本当なのでしょうか?色々と、横道にそれてばかりいて、半分ぐらいのところで、丁度、時間(講演時間2時間)が来てしまいました。残りは、また来週です。さて、共著書を出しました。タイトルは『古代史研究の最前線 日本書紀』(株式会社 洋泉社、定価¥1,600)で、私は第3章(『日本書紀』をめぐる諸問題)を担当致しました。宜しければ、是非ともご覧ください。(2016年6月23日)
市民を対象とした、市主催による、本年度前期市民大学講座がスタートしました。4回シリーズの初回に当たった昨夜の講座では、2時間に渡り、「平安京と京都 ―住めるわけがない、京都」というテーマで学習をしました。大学での、比較的若い人たちを対象にした授業とは違い、寝ていたり、スマホでビデオを見ている様な受講者はおらず、また、質問等もあり、講師の側としては、やりがいがあります。(2016年6月8日)
災害対処の文化論Ⅳ、データを更新致しました。ところで、6月30日は、大祓、茅の輪の祭り、夏越の祓の日です。私も、近隣にある弥彦(やひこ)神社より、紙製の人形(ひとがた)を送ってもらい、一連の儀式を行った後、同じ神社へ返送しました。初穂料も送金しましたし、あとは茅の輪が送られて来るのを待つだけです。お蔭様で、1年の前半期も、何とか無事に過ごすことが出来ました。(2016年6月5日)
昨年12月に開業した仙台市地下鉄東西線荒井駅の地上にあるロータリーには、浪分けの桜の木が1本植えられています。未だ植えられて間もない若い木ですが、当駅のシンボルツリーとして育っています。それは、当駅より南西方向に、約2キロメートルほど行った場所に在る「浪分(なみわけ)神社」にまつわるものとして、植樹されたといいます。浪分神社とは、仙台市若林区霞目にあり、江戸時代元禄年間に浪分大明神として、「その場所」へ創建されたとしています。「その場所」とは、「慶長の三陸沖地震」による津波が止まった場所、つまり、津波浸水線の表示であったのです。同社は結果として、その指標のために、後世の人々に対する警鐘として建設されたものであったのです。寺子屋などの教育機関も普及し、時期的には既に、文字認知も進み、庶民も読み書きができた時代でしたが、この浪分神社は、「見て直ぐに、誰でもがその危険性に気付く」ことを重要視した、一種の災害遺構の原型であるとすることがきます。また、本日は調査先の宮城県より新潟県へ、自動車を運転して帰る国道上で、対向車線(新潟県方面より)陸上自衛隊第6師団(山形県東根市)所属の車両と、恐らくは、200両程度すれ違いました。そして、途中の「道の駅いいで」では、休憩する隊員の方を見受けました。もちろん、熊本県への災害派遣の帰りの皆様です。大変、お疲れ様でした。有難うございました!!!(2016年5月1日)
九州中部に於ける震災発生に関しましては、心よりのお見舞いを申し上げる次第でございます。今回の地震では、震源部が熊本市付近より、徐々に東北方向へ移動している様にも、見受けられます。この地域よりは、歴史地震学的には、文禄5年・慶長元年(1596)閏7月9日に、東経131.6度、北緯33.3度を震央としたマグニチュード7.0の地震発生を想起させます。主な被災地は豊後国(ほぼ現在の大分県域)であり、この時の地震では高崎山が崩壊し、海水が引いた後に大津波が押し寄せ、別府湾沿岸で家屋流出等の被害を発生させた上、「瓜生島」の約80%が陥没して、死者708人を出したとされています。いわゆる、「瓜生島沈島伝説」の元となった地震です。丁度、時期的には豊臣秀吉の治世末期に当たります。エスパニャ商人アビラ・ヒロンに依る「転訛してハポンとよばれている日本王国に関する報告」の中には、当該地震や、その後に起こった被害に就いて、その正確さは留保するものの、一定の記述を残しています。その第六章(1596年)に依ると、「九月四日、非常に激しい地震が始まり、幾時間か続いた。その後弱まったり、強まったりして幾日か続き、こうして、強弱の差はあれ、毎日毎夜ゆれ止まなかった。それは日本全土にわたる地震であった。もっともところによって、他の土地より一層はげしく、被害を被るということはあったが。なぜなら、日向の国(豊後国の誤り)では、上浜(Humfama)という一つの町は水びたしになって、人家は跡形もなくなったばかりか、その後海まで湖ができたので、そこを船で往来したし、現在も船が往来しているからである」として、豊後国上浜(沖の浜)が当該地震の発生に依って海中に没し、その後に於いても、陥没した陸地が回復することが無かったことを記す。但し、現在、この沖の浜に該当する地区は見当たらないとされるので、当該地震に依って陸地先の津であった沖の浜は水没し、その後に於いても、回復することも無かったのであろう。尚、詳しくは、上記③「災害対処の文化論シリーズ Ⅱ ~室町~織豊期の地震災害と対処の文化~」をご覧ください。(2016年4月16日)
旧暦の4月8日は、日本の年中行事的には何の日でしょうか?キリスト教で言うところのクリスマスです。つまり、お釈迦様の生誕をお祝いする祝祭日です。ただ、現在の日本において、広く一般的に行なわれているお祭りかと言えば、お寺を除いては、そうでもないでしょう。そこが、クリスマスとは大きく異なる点です。日本の年中行事には、中国大陸長江中流域発祥のものが比較的多く、それが韓半島経由で、一旦、日本宮廷の行事として平安時代に整備され、その内の一部分は、一般民衆の行事として行なわれる様になって行きました。いわゆる「お花まつり」もそうした経緯で広まって行ったものと考えられます。正式には「灌佛会(かんぶつゑ・え)」、すなわち、灌佛台と言われる仏像を載せる台を用意し、そこにお釈迦様のお姿を模した像を安置して、それに、五色の水をかけ、その生誕をお祝いしたのが、日本宮廷における「お花まつり」でした。甘茶ではなく、五色の水、と言うところがポイントかもしれません。五色とは、白、黒、青、赤、黄の陰陽五行色に発した色彩感覚であるものと推測されます。何れにしても、中国の思想的背景が濃厚な仏教上の祭礼です。(2016年4月10日)
新年度が始まりました。「年度」という時間的な区分は、そもそも、近代に入って以降、英国の会計年度の影響を受けて広まったとされる習慣です。四季の存在が明確な日本にあっては、12月~1月にかけての、暦の上での新年では、余り明確な季節感の差異が無かったこと、そして、何よりも、ただでさえ忙しい年末、年始の時期に、学事や人事に関わる節目を設定すること自体を避けたものと考えられます。もともと、4月1日は、日本の年中行事の上では「更衣(こうい)」の日に当たり、季節、生活習慣の変わり目としての位置付けです。更衣とは、衣服のみならず、室内の様子(室礼)をも夏向きに変えるものですので、10月1日にも行ないます。ただ、旧暦ですので、太陽暦の今日ではありません。ところで、「四月朔日(4月1日の意味)」さん、という姓がありますが、読めるでしょうか?比較的、北陸地方に多く分布するとされています。(2016年4月1日)
宮城県石巻市にある旧大川小学校の校舎について、同市はこれを「震災遺構」として、その全てを保存する方針を決めたという。同校では、東日本大震災の津波に於いて、多大な人的被害を被ったのである。それは、心情や、感情、更には、後世の人々に対する伝達責任・義務と言った要素が重なり合う重い課題であり、善悪、好き嫌い、といった価値判断で解決されるべき問題ではないのであろう。元々、大きな災害の発生間隔、いわゆる、「間災期」が、日本海沿岸部地域と比較して短い当地に於いては、前回の被災状況を、次世代に、誰でもが分かる形で伝達することは、一つの命題であった。それは必ずしも、目に見える形のものだけではない。言語的・非言語的手法、また、可視的・非可視的手法である。伝承、語り部による語り継ぎ、標語、津波記念碑、地名等である。今でも、当地では、新たな津波記念碑の建立が相次いでいることは、ネット社会になっている現在に於いても尚、見て直ぐに、誰でもが理解可能な状態にしておくことの重要性が認知されている結果なのであろう。こうした課題は、私が研究している「災害対処の文化論」に於ける、主要な検討テーマでもある。(2016年3月26日)
今日の新潟は、雪交じりの強風が吹いています。さて、受験シーズンも終盤、その意味では、神社や寺の出番も少なくなって来ているのかもしれません。受験生が合格祈願の為に、神社や寺に奉納する絵馬ですが、通常は、お願い事を書き、その場所へ置いて来るものです。ただ、お願い、希望、願望ですので、必ずしも、良いお願い事ばかりとは限りません。元々は、他人を貶(おとし)める、呪符(じゅふ)としての使用法もあったものと考えられます。裏面(絵などが描かれている面)には、その神社や寺に特有の画像、その年の干支などを描いていることが多いようです。それ故に、それをコレクションとして収集する人たちもいます。新潟県柏崎市の「閻魔通り(えんまどおり)」にある「絵馬と土鈴の館 絵馬憧(えまどう)」では、日本全国より収集した絵馬が、その壁面におびただしく飾られています。種類ごとに分類されているので、分かり易いです。館主によれば、最近では、おみくじもそうですが、絵馬も大量生産品が多くなり、趣深いものは少なくなって来ているそうです。また、お茶(お酒)付きの、館主による説明もあって、その方面にご興味のある方には、参考資料としての希少性はあるのかもしれません。(2016年3月24日)
韓半島と越国、災害対処の文化論Ⅴの内容更新を行ないました。今日は、箱根でも20cmぐらいの積雪があったようですね。もうだいぶ以前になりますが、4月に入ってから、新潟県より自動車を運転して箱根へ行きました。勿論、既にタイヤはスタッドレスタイヤより普通タイヤに交換済みです。ところが、箱根に近づくに連れ、雪模様に。直ぐに近くのカー用品店でタイヤチェーンを購入して装着。未だその頃は車の事が良く分からなかったので、何と、駆動輪ではない後輪にチェーンを着けてしまい、全く、無意味な作業をしてしまいました。新潟は雪国ですが、新潟の人は、余程の積雪ではない限り、冬季にもタイヤチェーンは着けません。関東地域に積もる雪は、雪になるかどうかの、高い気温で雪になるので、雪道に慣れている筈の新潟県人でも怖いです。(2016年3月14日)
災害対処の文化論シリーズⅤ、遂に完成!!本日販売を開始いたしました。災害遺構の存否を巡る問題、神話や説話、伝承、そして、地名に込められた、かつての水災害の痕跡とは何か?再び被災しないために、それを人々は、どのように利用して来たのか?日本の沿岸部のあちこちにある小高い築山は何のため?津波災害を始めとした、「水災害」に向き合って来た、日本の記録です。ぜひ、ご覧ください!!なお、本ページの販売ボタン(緑色)は、パソコンによっては、反応しない場合があります。申し訳ありません。恐れ入りますが、その場合には、本ページに掲載してあります、それぞれの本の専用URL(青色)を検索エンジンにコピペしてご利用ください。スマートホンなどの販売ボタン(緑色)は、正常に作動いたします。(2016年3月1日)
昨夜より、本ページよりの、購入ボタン(緑色)を使った電子書籍製本版の購入ができなくなっております。緑色の購入ボタンを押しても、反応いたしません。ただいま、復旧作業をいたしております。ご迷惑をおかけいたしますが、しばらく、お待ちくださいませ。尚、それぞれの本の専用URL(本ページに掲載した青色のもの)や、スマートホンよりは、通常通り、ご購入いただけますので、お急ぎの方はそちらをご利用ください。また、「DLmarket」よりのデータ版は、通常通り、販売をいたしております。(2016年2月22日)
災害対処の文化論シリーズⅠ~Ⅳの内容更新を行ないました。また、シリーズⅤ(浪分けの論理、水災害としての津波)は、来たる3月1日発売開始予定です!!
大学の後期日程も終盤に差し掛かり、それぞれの科目受講者の成績評価を決定する時期がやって来ました。教員が、頭を悩ませる時期でもあります。私が学生の頃の大学の先生には、未だ権威があった?ので、成績のつけ方など、直接聞けるような雰囲気ではありませんでした。聞いたら最後、学生のくせに生意気だ、なんていうことになって、C(可)評価にされてしまった、などという話もたまに聞きました。勿論、今ではそんなことはありませんが。最近では、大学での成績評価方法も、GPA制度等、それまでの絶対評価より、相対評価に変更されつつあるので(文部科学省の意向?)、成績の計算に、それまで以上の労力と時間がかかるようになりました。それは仕事なので良いのですが、以前では、極端な場合には、受講者全員S(秀)とか、C(可)とかといったこともあり得ましたが、現在ではそうはなりません。Sが何パーセント、Aが何パーセントという風に決められています。従って、全部授業に出席して、試験もちゃんと受けたのに、何でSではなく、Aなんですか?という受講者よりの質問もあります。授業への出欠自体は、試験を受けられるか、どうかの資格要件を調べるだけの材料なので、基本的には成績に反映しませんが、学生にとっては、そうでもないようです。高校までは、みんな競争だから、という気持ちを持っていたので、自分の成績についても納得しやすかったのですが、大学の成績は、取りあえず授業にさえ出ていれば、授業中にスマホで動画を見ていようが、音楽を聴いていようが構わない、つまり、競争なんて無いのでしょ、という考えの若い受講者(社会人学生ではない、という意味)が圧倒的なので、競争心理を持って学習に臨んでいる学生なんて、先ず大衆化された、一般的な日本の大学では、少ないです。ただ、大学を卒業して、いったん一般社会に出れば、そこは生存競争の社会なので、社会人になるための訓練として、大学でもそうした競争原理が正常に機能する様になることは、良いことだとは思っています。(2016年2月13日)
雪国に住んでいると色々なことが起きます。雪道で滑って転ぶことは先ずありませんが、いわゆる「しっぱね」(自動車などが跳ね上げる雪交じりの汚い水)を浴びてしまうこともあります。歩行者としての私は、持っている傘で防衛する様にしています。勿論、法的には歩行者にしっぱね等をかけることは違反行為ですが、歩行者のことなど気にせずに行ってしまうデタラメな車も多く見かけます。私も車を運転しますが、歩行者の近くを通る時には、減速して、しっぱねをかけない様に気を付けています。また、先日は、隣家のおじいさんが、自分の家の屋根雪を、私の家の屋根に放り投げていました。まあ、どこにも非常識な人はいるものです。ところで、災害対処の文化論シリーズⅠの内容更新を行いました。掲載写真のサイズも、見やすくするために、大きく致しました。今回より、コンビニ決済も導入致しましたので、是非、ご利用ください。(2016年2月1日)
災害対処の文化論シリーズⅢの内容更新を行いました。是非とも、一度ご覧ください。今後とも、電子書籍内容のより一層の充実に努めてまいります。(2016年1月27日)
昨日より、暴風雪です。当地では、なかなかホワイトアウト状態になることは珍しいです。JR線、路線バスは勿論、一般道路、高速道路ともに通行止めか、大渋滞です。現時点で、新潟県柏崎市の積雪は53cmですが、実際には吹き溜まったりするので、地上では1m近い積雪になっています。雪道走行には慣れている当地のドライバーですが、吹き溜まりにはまったりして、市街地でもタイヤチェーンが無いと、走行は危険な状態です。大学の授業も、全て休講になりました。2015年12月22日条でも書いた様に、やっぱり、初雪の遅い年は、大雪になってしまうのですね。(2016年1月25日)
とにかく、雪国(新潟のことですが)に雪がありません。12月22日条でも書きましたが、その時と状況はあまり変わっていません。それはそれで、生活をする上ではあり難いことなのですが、本当にそれで良いのでしょうか?スキー場にだけは降って欲しいところですが、それもままなりません。少雪の影響は、直接的には今夏の関東圏での水不足が懸念されるところですが、それだけではなく、農業への悪影響もあるかもしれません。米農家の方は、雪も水田に稲の生育に必要なミネラル分をもたらしてくれるので、ある程度の降雪が無いと、却って困る、とおっしゃっていました。水田表土における熱収支の面よりも、少雪状況は自然の流れを妨げているのかもしれません。また、雪は雨とは違って、ゆっくりと融けて、必要な水供給を適切なペースで行なってくれるので、積雪は天然ダムであり、「水循環」という観点よりは、それ自体が天然資源であって、自然にとって好ましい自然現象です。過度の「暖冬少雪」も、私が研究しているところの「自然災害」の一つに入れることができる様になるのかもしれません。沿岸部である当地にも降雪はあることにはありますが、雪になるギリギリの温度(4度ぐらい)で降ってくるので、重たく、べチャッとした雪です。スキー場的には、悪い雪質です。雪質が悪いとスキー板などの先端部分が雪にひっかかり易くなってしまい、骨折など、ケガをしやすくなります。私も、中学生の時、広島県北部にある芸北高原大佐スキー場でサークル活動のスキーをしていて、骨折をしたことがあります。その時も、この様な悪い雪質でした。雪国と呼ぶことのできる場所は徐々に北上して行き、遂に新潟も近い将来には、雪国ではなくなる可能性が高いのかもしれません。既に、庭のフキノトウは花が咲いてしまい、天婦羅や、フキ味噌にはできそうにありません。(2016年1月21日)
大学入試センター試験が始まりました。受験生の皆様はお疲れ様です!!監督者の皆様もお疲れ様です。初日最後の英語リスニング試験は受験生も大変ですが、監督者も針の筵(むしろ)に座ったような試験時間です。プレーヤーとは言え、所詮は機械なので、不具合を起こすこともあり得ます。そうなると大変なことになります。大学入試センターより配布されるマニュアルもありますが、なかなか2回や3回読んだだけでは、理解が進まないこともあります。勿論、事前の予行演習も相当な時間をかけて周到に行いますが、実際の試験となれば、緊張もしますし、また予行演習とは事情も違ってきます。机間巡視も禁止されているので、監督者も定位置での見守りということになりますが、何事も起きないで試験終了時間を迎えると、実は監督者もほっとします。私も一応、教員ですが、入学試験自体にはそれほどの価値を認めていません。無論、学習や競争は必要ですが、それが大学教育では、余り上手く機能はしていない様に感じます。それよりも寧ろ、卒業要件を厳格に、厳しく運用した方が学生自身や、社会の利益にはなると思います。一旦大学に入学してしまうと、学習の目標を持っていない多くの学生は一応の勉強(試験直前)はしますが、それを除けば如何なものでしょうか?大学の中では、中々自分で学習の到達目標を決めにくいという事情もあるかもしれません。しかし、日本語運用能力が、留学生よりも低い日本人学生というのは、いったいあなたはどこの国の人ですか?と質問したくなります。今では疎外されつつある一般教養教育の充実や、日本語運用能力の向上は急務であると思います。受験的な学力はあるのに、「世間話」がまともにできない、ごく普通の会話が続かない、そうしたところから改善を始めなければならないのが、現在のごく一般的な大学教育です。「世間話」をしようと思ったら、意外と高度な知識や、経験、センスなどが必要なことに気付きます。(2016年1月17日)
日本企業にとっての創業「100年の壁」が大きいことは、12月27日の項でも記しましたが、それでもなお、日系企業の中には、その創業が100年以上前にまで、さかのぼることのできる「老舗」企業が、約21,000社もあるとされています。ただ、この100年という時間にも、大きな地域差があるようです。東京は、日本の中では比較的新しい都市ですが、創業より50年もたてば、「老舗」であると言っても、誰も文句は言わないでしょう。テレビなどでは、20年でも老舗と表現しています。ところが、古くからの都市である京都などでは、50年、100年は、昨日、今日のレベルであって、決して老舗とは言いません。そこでは、創業400年以上が、老舗のであることの一つの基準とされているようです。つまり、「江戸時代」に創業された企業は、老舗ではない、という認識です。これには、単に、京都が平安京以来の古い都であるという自負だけではなく、伝統的「東国観」や、都市としての江戸に対する蔑視観が反映されている可能性もあるかもしれません。寺社建築の「金剛組」は、ギネスブック級の古参企業であるとされています。同社HPによれば、創業は西暦578年としていますから、もはや、老舗の域を超えています。百済国(くだらのくに)から3人の工匠が倭国に招請され、そのうちの一人であった金剛重光が「金剛組」を創業したとされています。金剛重光とは、いささか日本人風の呼称ですが、元々は「金さん」であった可能性もあるかもしれません。何れにしても、1,400年以上に渡って一つのことを継続させることは、想像を絶することですが、そうした渡来人(倭国にとっての外国人定植者)たちの活躍があってこそ、古代日本国家や、その後における日本文化の形成が進んで行ったこともまた、事実でしょう。ところで、今日は、「七草粥」の日です。もちろん、本来は旧暦ですので、太陽暦の今日ではありません。それはともかく、「七草粥」自体も、元々は中国長江中流域における「人日(じんじつ)」(人を占う日)に起源を持つとされています。中国大陸より日本へ伝わった行事は、一旦、日本宮廷で取捨選択されて、整えられ、更に日本や日本人の嗜好に合うように改造され、後にそれが民衆の行事となって広まって行く、そうした年中行事は多いです。節分、お花まつり、端午の節句、七夕、お盆、重陽節なども、そうした経緯で、日本の行事として定着しました。中国梁の宗懍(そうりん)が著した「荊楚歳時記(けいそさいじき)」(6世紀半ばごろ成立)には、そうした日本の年中行事の原型が見て取れます(東洋文庫324)。(2016年1月7日)
新年早々、いささか、上から目線の様で大変恐縮なのですが、世の中には、いわゆる、「センスの良い人」と、そうではない人の2種類の人がいるように思います。ここで言うところのセンスとは、容姿、外見だけではなく、もっと総合的なものの見方です。これは、学校の成績だとか、学力、学歴とはほとんど関係のない、処世術みたいなものです。それは、ありとあらゆる場面で発揮され、センスの良い人と、そうではない人との差が歴然として表れてきます。たとえば、切符を買う時、勉強をする時、自動車を運転する時、会話をする時、食事をする時、何かの計画を立てる時、物を片付ける時、会議をする時、などなど。センスの良い人は、言わば、要領が良いので、傍目に見ていても、得をすることが多いように思えます。一方では、ズルい面もあるように見えますが、彼らは決して常識外れであったり、ルールを守らないものではありません。センスが良ければ、時間的にも、金銭的にも得をする確率が高いと言えます。ある場合には、センスが良いだけで、命びろいをすることすら、あるかもしれません。そうした「センス」とは、親や学校の先生など、他人から教えてもらうものではなく、自分自身のアンテナの感度であり、それを良くするも悪くするも、本人次第でしょう。センスの良い人は、共通して、常に周囲の動向に敏感で、臨機応変です。周りで何が起こっていようが、我れ関せず、という方針の人にセンスの良い人は少ないような気がします。有名大学を卒業して、著名な職場で働いている人の中にも、センスの良くない人はたくさんいます。また、その反対バージョンもあります。センスの良い人は、接していて気持ちが良いです。相手の気持ちを思いやることが出来る余裕を持っているので、相手を不快にさせることは、通常はありません。その反対に、センスの良くない人は他人をイライラさせ、また、怒らせたりもします。しかも、それは故意ではなく、自然とそうしてしまうので、なかなか、注意しにくいです。そうした人と接しなければならない時には、仕方が無いので、最初から諦めます。ただ、センスは先天性のものではなく、本人の努力次第で、いくらでも向上させることが可能です。私も、今年はそうしたセンスの向上につとめたいと思ってはいるのですが。(2016年1月3日)
謹賀新年!!今年も、独り言をつぶやきたいと思います。大晦日の夜、今年は紅白は見ない、と言いながらも、やはり紅白歌合戦を見てしまいます。森進一も今年を最後として、紅白を卒業する由。松田聖子が紅白でオオトリをつとめるなんて、赤いスイートピーを歌っていた頃には、想像することもできませんでしたが、時間の流れを感じさせます。(2016年1月1日)
京都府大山崎町にある大山崎山荘美術館は、天王山の麓に佇む山荘風の建物です。元々は、実業家加賀正太郎氏によって営まれた英国風山荘でした。しかし、時の流れと共に維持することが困難となり、1996年、アサヒビール株式会社が運営する企業出資の美術館として出発しました。クロード・モネの「睡蓮」3連作を常設展示していることでも知られています。企業が、本業とは異なる社会、文化活動に携わることは、現在では珍しくは無くなってきています。それは、本業で上げた利益の一部分を社会貢献の為に還元するという発想に基づくものです。こうしたことは推奨されるべきことでしょう。企業側にも、そのイメージを高めるという一定の効果は存在します。ただ、こうした企業や篤志家の方々による美術館、博物館の場合、確かに収蔵、展示されている作品は著名な作家のものであり、しかも高額な作品であることが多いのは事実ですが、その反面、公立の施設の様な体系的な収集思想や、取捨選択に基づいた収集活動が行われていないことも多く、博物館、美術館の持つ社会教育的側面よりは、考慮すべき面もあるのかもしれません。また、「老舗」企業の多い日本ですが、それでもなお、「100年の壁」は大きいと言わざるを得ません。つまり、業績好調の時には問題がありませんが、窮地に陥ってしまったような場合には、せっかくの収蔵品が再散逸してしまう可能性も、全く無いわけでもありません。大山崎山荘美術館の収蔵品の中核をなすものには、朝日麦酒株式会社初代社長であった山本爲三郎氏の個人コレクションが充てられています。氏は「民藝運動」の支持者であったとされ、当館収蔵品には河井寛次郎氏や濱田庄司氏による「名品」も含まれています。「民藝運動」と「印象派」、どちらも興味深いテーマではあります。(2015年12月27日)
新潟には今日現在、積雪がほとんどありません。越後湯沢も六日町もさっぱりです。新潟の人が良く言うことに、「スキー場にだけ降れば良いのに!」という言い方があります。そのスキー場のゲレンデにすら、ほとんど雪は積もっていない状況です。積雪が無いことは、生活する上では良いのですが、やはりその季節なりの状況というのが、地球には優しいようです。週間天気予報によると、今週末には降雪がありそうですが、最高気温が4度以下には下がりそうにないので、日中は冷たい雨や霙(みぞれ)かもしれません。積雪が少ないと、次の夏には水不足が懸念されます。私が子供の頃には、12月~2月にかけての時期に、あまり雨が降っていたという記憶がありません。降るとすれば、それは雪です。ここ数十年だけを切り取ってみても、冬場の新潟は確実に暖かくなっているようです。勝手に気象予報士によれば、今年はこの時期にガメ虫が多いので大雪だとか。本当の気象予報士の予想によれば、やはり暖冬小雪であるとか。私の経験則的予報によるならば、初雪の遅い年は、その後大雪になりやすい様な気もします。(2015年12月22日)
寒い季節になりました。ということは、日本酒の美味しい季節であるとも言えます。勿論、現在では、「蔵」というよりも、オートメーション化された、衛生的で、近代的、きれいな食品工場の中で、一年を通じて安定的に醸造し、市場に安定供給することができるようになっています。本来、日本酒は季節商品であって、電気設備の無かった時代には、厳冬期にしか造ることができませんでした。それでもなお、「腐造」の事故も発生したりして、気を抜くことのできない、集中力を必要とした作業でした。それ故、特にこの時期、女性が醸造蔵の中に立ち入ることを忌避した習慣、いわゆる、「女人結界」(女子立ち入り禁止)が成立していました。日本文化論的視点では、それは、男尊女卑の陋習などよりもたらされた習慣ではなく、「気を抜けば大損害につながるかもしれない作業場での、男性作業員(蔵人)組織の結束力や集中力を維持する」ための方便でした。「女性には生理があるから、つまり、ケガレの対象としての「血」につながるから」というのは、飽く迄も、誰をも納得させるための口実に過ぎませんでした。さて、私が日本酒の本場である新潟の醸造蔵100社の中より、これは良いなあ!!というお酒を一つご紹介します。ただ、日本酒も嗜好品である以上、美味しい、美味しくない、のご判断は、皆さんにお任せします。それは、新潟県長岡市和島にある久須美酒造さんのお酒「清泉(きよいずみ)」です。最近では、淡麗辛口が新潟清酒の定番の様になっていますが、その中にあっても、これは穏健派といえる存在であり、味はまろやかで、さわやかな風味を醸し出しています。さっぱりとしていて、肉料理にも合いそうです。大吟醸酒の「亀の翁(かめのお)」は、ねっとりとした深みのある味わいが特徴的で、日本酒とは思えない、熟成度を保っており、そのお酒としての完成度の高さには、非常に驚かされます。(2015年12月17日)
橋梁等での耐震補強工事に関して、阪神淡路大震災後に、橋脚へ設置された安全装置の溶接部分で、意図的に手抜き工事が行われていた箇所が、45都道府県で556箇所も存在することが判明し、手抜き工事を行なっていた企業は12社に及ぶことが明らかになった、というニュースが報じられた。通常の通行では問題は無いものの、震災時には、最悪の場合、落橋を防止することが出来ない可能性もあるという。先日話題となった、マンション基礎工事に於ける杭打ち工事のデータ改ざん、手抜き工事発覚の際にも、「日本人のモラルはどこへ行ったんだ!」と言っていたコメンテイタ―が何人もいた。しかし、よく考えてみれば、誰の目に触れることの無い部分で、手抜きをしたくなるのも道理ではある。ましてや、それがコストカットにつながるとするならば、なお更のことではあろう。それはモラルなどの問題ではなく、人間としての自然な思考の流れであるのかもしれない。本ブログの「11月29日」の記事でも書いた様に、それは「本音と建て前」につながる、日本人の深層心理であるのかもしれない。自分に関係が無く、「表沙汰」にさえならなければ、それはどうでも良いことなのである。日本人が他人の視線を気にすることに就いて、それを武士の出現、つまり、平安時代中期にまで求める考え方もある。武士は野蛮であり、教養もないし、すぐに怒る。従って、彼らの機嫌を損ねない様、「保身」の為に彼らの目を気にする必要性が生じるようになったとするものである。日本人が、今でも相手との適切な空間(パーソナルスペース)を維持したがるのは、そうした過去の記憶が遺伝子の中に刷り込まれているからである、とするのである。例えば、列に並ぶことは、社会秩序を守るためでもあるが、その一方では、相手との一定の距離を保ち、トラブルなど、身に降りかかるかもしれない危険を回避するために行なわれるようになった保身行動なのかもしれない。大陸出身の人が、比較的列に並ぶことを嫌い、割り込みをするのは、彼らに秩序が無いからではなく、並んでいても仕方がないからであり、先に行けば、何か良いことが期待できるからである。それは、そこで生きて行くための「生存競争」なのである。広い空間を持つ大陸に於いて、同じ場所、広い場所で、長時間もたもたとしている事の方が襲撃対象となり易く、「目立って」しまい却って危険であり、それを回避する割り込みこそが、彼らの遺伝子に組み込まれた保身行動であるのかもしれない。(2015年12月16日)
メールでご紹介を頂いた電子書籍があります。ジョン・金井氏による「そうだったのか!ニッポン語ふかぼり読本」です。同氏は、独自の視点や興味に基づき、日本語にまつわるあれやこれや、とてもためになるお話をこの本に収載しています。例えば、日本→「にっぽん?」、「にほん?」など、興味深いお話満載です。私も購入して拝読しましたし、知り合いにも、紹介をさせて頂いております。Amazonより購入することができますので、いかがでしょうか。さて、今日の新潟は温暖で、穏やかです。当分、降雪は無さそうです。子供の頃には、早く雪が積もらないか、大雪にならないかと、首を長くしていましたが、今では逆です。ただ、やはり季節どおりに、降るべき時には降るべきものが降ってくれないと、生活する上では快適で良いのですが、今後の農業への悪影響や、来年夏の水不足につながったりもして、とても心配です。やはり、二十四節気どおりの季節の運行が、地球には優しいようです。(2015年12月12日)
今日の新潟は、曇っていますが、この時期としては割と穏やかな天候でしょう。ところで、昨日の夜、大事件がありました。ところが、そのことを話しても、なかなか信用してもらえません。昨夜19:30過ぎ、帰宅の為に歩いていたところ、南側の空が急に明るくなり、何かの「発光物体」が火花の様な尾を引きながら、落下して行くではないですか!!方角としては、東側より、南西方向に向かって落下して行く様に見えました。高度はよく分かりませんが、およそ、2~3キロメートルといったところでした。あのまま落下したのであれば、長野県北部付近に落ちたのかもしれません。音は全くしませんでした。私は、てっきり、飛行機の墜落か、ミサイル攻撃だと思ったぐらい、その物体は明るく、また、大きく見えました。通常の星や飛行機ではありません。きっと大ニュースになっていると思い、すぐにテレビをつけましたが、全然話題にはなっていません。今日の新聞にも、該当する記事はありませんでした。あれは、錯覚だったのでしょうか?でも絶対に、誰かがスマホのカメラで撮影してくれていると期待しているので、その投稿を待つことにしましょう。ところで、室町時代に書かれた、京都醍醐寺三宝院の住持の日記「満済准后(まんさいじゅごう)日記」応永(おうえい)26年(西暦1419年)7月19日の記事として出現する、名古屋の熱田神宮での「大ナル光物」、つまり、発光物体の同社への落下事件も、当時の人々は、私のような驚きをもって、見ていたのでしょうか。日本のみならず、世界史的にも、彗星の出現、隕石や隕鉄、火球の落下は凶兆、すなわち、近い将来に何か悪いことが発生する前兆現象として認識されて来ました。「満済准后日記」の記事の時にも、「応永の外寇(がいこう)」という、外国(李氏朝鮮軍)よりの軍事攻撃事件(九州の対馬)があって、日本国内は騒然とした状況でした。それとの関連で、熱田神宮への落下事件も認識されていました。今回も、何か悪いことが起こらない様に、祈っています。(2015年12月10日)
昨日に引き続いて、本日の新潟は、相変わらずの暴風雨です。東京ならば大事件ですが、当地では当たり前の、この時期に特有の光景です。ところで、日本の地名や、人名(特に苗字)に就いて、お問い合わせを頂くことがあります。災害文化史を調べている関係上、私も地名に関しては良く調べますが、漢字は表意文字であるので、その土地の来歴を地名に刻むことは良く行われて来ました。特に、江戸時代以前には、そうしたことが良く行われていたようです。それには、識字率の問題が大きく関わっています。昔の武士や公家等も、自らの領地や屋敷地の地名をその家の通称として、本来の氏(うじ)の名称とは別に、現在に於ける苗字の様に使うことが多かったのも事実です。それは、その土地と自らの家との結合の強さ、支配の正当性等を示す必要性があったからであると推測されます。従って、その家の通称や苗字と地名との間には、密接な関係がある場合もあります。ただ、漢字には音訓が有るので、ある種の理由より、それが同音異義の別語に置き換えられ、当て字に変えられている場合も多く、現在の地名の漢字表記だけから、その土地や家の来歴を知るにも限界があります。また、苗字ですが、血統を表示するという機能に於いて、日本人の苗字ほどいい加減なものはないと思います。明治初期になり、江戸期の被支配層にあっては、それまでの様に、名の使用だけでは不便であったり、徴兵に関わる理由、交流圏が江戸時代の様に村単位であった時代より、広域化して行くに連れ、家名としての苗字の使用がほぼ義務化されて行きます。特に民法に於いて、家や戸主の存在が強調されるようになると、尚更のことでした。いわゆる明治新姓が多く出現し、中には、役人が勝手に付与した語感の悪い苗字も作り出されたとされています。従って、日本人の苗字を調べる際には、人権に配慮することが必要です。名と違い、家庭裁判所の審議を経なければならない等、苗字の変更には困難を伴うので、尚更のことです。(2015年12月5日)
今日の新潟は、低気圧の東進にともなって暴風雨です。よって電車はまともに動かず、また、道路も橋梁部での通行止めで帰宅できなくなるかもしれないというので、授業も少しだけ早く終了です。自然現象の話なので、仕方がありません。ところで、災害対処の文化論シリーズⅤは、ただ今、鋭意作成中です。そこでも触れますが、津波には海底地震にともなって発生する津波と、高浪や高潮といった、気象津波と呼ばれるものとがあります。後者は、低気圧や、台風の通過、接近によって海水が巻き上げられ、また、沿岸部へ吹き寄せられ、結果として海水面が上昇して沿岸部地域に浸水被害をもたらすものです。特に、大潮の満潮時にそれが重なると、大きな被害につながります。今回の低気圧通過では、その様な被害は起こっていないようですが、これだけ風が強いと、海水が雨や強風と共に、沿岸部へ降り注ぎ、塩害をもたらします。自動車も、道路へ散布される凍結防止剤、融雪剤の影響ともあいまって、下回りから錆び始めます。静岡県の沿岸部では、江戸時代に気象津波により、多大な被害を被ったことから、命山と呼ばれる、人工の小山を築き、それを何とかやり過ごしていましたが、現在では、その存在が見直され、現代の命山として、数か所、津波対策用の避難施設として整備されつつあります。近くから見ると、築造当時の古墳をイメージさせる大きさです。(2015年12月4日)
新潟県内の水辺にも、この時期多くの白鳥が飛来します。ただ、今年は例年に比べてその飛来時期も早く、個体数も多いといいます。阿賀野市水原(すいばら)にある瓢湖(ひょうこ)では、11月27日の計測で、ついに白鳥だけで1万羽を超えてしまい、新記録達成となりました。水面は、白鳥をも含めた水鳥で、ラッシュ状態です。また、今日は佐渡島に漂着していた木造船内の捜索で、遺体が発見されています。これも以前に書いた様に、北朝鮮よりの漂流漁船であるとされています。つまり、今年の冬の日本海は、例年の冬とちょっと違った様相を呈しているとも言えそうです。それが意味している事象とは、地球温暖化に依る異変なのかもしれません。先日開催された、COP21でも、島嶼国の惨状が話題に上がりました。つまり、温暖化による海水膨張、海面上昇で、国自体の存亡にかかわる事態にさらされている国々が存在しているということです。海面上昇自体は、海進、海退といった、全地球規模での気候変動の中で考慮されるべき出来事ではあるでしょうが、これが同じ島国である日本にとっても無関係であるとは考えられません。勿論、温室効果ガス排出側の加害国としての責任もあります。このまま事態が進行すれば、早晩、日本の砂浜や沿岸部そのものも、縄文時代の様に、更に現在の島嶼国同様に、消失の危機に直面することははっきりとしているでしょう。(2015年12月3日)
昨日は忙しくて書けませんでした。流石に「師走」とは良くも当てはまる言い方です。最近では、門松を年内に飾るところも多いようです。ただ、これは正月行事「子の日の遊び」 (公家たちが正月に野に出て松の若木を引いてくる遊び)に由来するので、年内に飾るのはどうかとも思います。しかし、節分(旧暦の大晦日)までに行なう年末の行事、「鬼遣(おにやらい)」、「追儺(ついな)」という、鬼を追い払う行事との融合も見られることより、鬼が忌み嫌う尖った物、柊(ひいらぎ)の葉や竹(の先端を斜めに鋭くカットしたもの)、そして松葉などを、門松という形でセッティングしたものであると考えられます。松や竹は常緑であることより、長寿や健康の象徴でもありました。旧暦の年末に米や大豆を神へお供えする家庭もあります。これらも生命の起源であると考えられ、やはり鬼が嫌ったとされています。縄文時代ごろ、中国大陸より日本へ、「鬼」の思想が渡来したころには、桃の種を使った鬼退治も行われていたようです。日本書紀には、桃の種を使った鬼(八色雷公)退治の話も登場しています。(2015年12月1日)
日本人等がこっそりと(違法に)ゴミを捨てる時、多くの場合には、人目に就かない場所へ、人目を忍んで捨てて行くのだと考えられます。筆者の勤務する学校の傍にも立派な道路が通っていますが、人家が途切れた様な場所にはゴミが多く捨てられ、人家が有るような所には余り捨てられてはいません。また、不思議なことに、それだけ多量のゴミが違法に捨てられているにも関わらず、私は一回もゴミを捨てている人を見たことが有りません。ということは、ゴミを捨てる人の心の中には、やはり、やましい気持ちがあって、人がいない時を見計らって、こっそりと捨てて行くのでしょう。以前、東アジア某国を訪れた際、道路脇は、人家が有る無しに関わらずゴミだらけで、大胆にも人目を憚らず、道路にゴミを放り投げる人を多く見かけました。それどころか、その国の高速道路の本線上には、コンクリートブロックや、破片が多量に散乱していました。荷台より落下したものかもしれません。よくもまあ、事故が起きないものだと、当地のドライバーの高速運転技術の高さには驚かされたことがあります。何れにしても、そうした場所へゴミを捨てる行為は良くないことですが、日本でも古来、「水に流す」という表現法がある様に、側溝等にゴミを捨てたり、用を足したりする人が後を絶ちませんでした。ただ、やはり、それもこっそりとしていたのでしょうか?日本人の心情表現には「本音と建て前」がありますが、ゴミを違法に捨てるのに際しても、そうした裏と表の顔があったのでしょうか?ところで、私が勤務する学校傍の道路脇に捨てられたゴミは、本学の学生等が中心となって、定期的に拾い集め、きれいにしています!!(2015年11月29日)
筆者もやっている電子書籍は、今後、増加の一途をたどって行くことでしょう。ということは、必然的には既存の書籍や、出版社の存在を圧迫して行くことになります。紙ものの本が全く消えて無くなるとも思いませんが、こうした流れは、予想以上に早く進んで行く可能性もあります。電子書籍の利点は、筆者、ユーザー双方にとり、何と言っても簡単である点、金額が安い点、無限に部数が発行可能な点、つまり、電子書籍サイトが閉鎖されない限り、「絶版」はありません。そして、速報性にあります。通常の書籍では、どんなに売れっ子の作家さんの本でも、毎月版を重ねて刷る、などということは少ないでしょう。ところが、電子書籍は、ワードやPDFファイルでの入稿なので、書き足したいこと、修正点等があれば、数分で更新することができます。読者としては、常に最新の情報に接することができる可能性もあります。私も、上で掲げた電子書籍については、何か新しい知見があれば、随時内容の更新をしています。従って、ページ数自体は、当初の物より段々と増えて行っています。書籍も成長をしていると言っても良いのかもしれません。(2015年11月28日)
今日の新潟は大荒れです。例によって、この時期特有の気候―低気圧の、発達しながらの東進によって、強風に強雨です。午後からは一時的に霰(あられ)や霙(みぞれ)も降りました。従って電車は遅れ、1限の授業は、欠席者多数です。雪は少ししか積もらないが、風は強いのが良いか、または、積雪は多いが、風は吹かないのが良いか、新潟県人なら分かる選択です。(2015年11月27日)
二十四節気は、古代中国の文化が日本へ波及した典型ですが、いわゆる旧暦の使用法と共に、農業や日常生活をスムーズに進行させるツールとして、現在でも活躍しています。昔の中国大陸の人々の中には、優秀な人物が多かったことを示しています。今日は「小雪(しょうせつ)」で、あともう少しで「大雪(たいせつ)」です。札幌では予想外の大雪(おおゆき)となって、除雪が追い付いていない様です。今日の後半よりは、低気圧が発達しながら東進し、特に日本海側の沿岸部地域では、大荒れの天候になりそうです。二十四節気、古代中国の季節感が、温暖化の進んだ今の日本にも当てはまるというのは、驚くべきことです。(2015年11月26日)
現在、ある自治体で、「Webミュージアム」の構築作業をお手伝いしています。インターネット空間上に、仮想の博物館を開設するものです。今ではどこの自治体でも同様のサイトを設けていますが、小学生による地域学習も視野に入れていることが多い様です。ということは、一般の方々が見ると、ちょっと稚拙なものに見えてしまうこともあり得ます。こうしたWebミュージアムで、全ての来訪者の期待に応えるのは、なかなか難しいのかもしれません。ただ、HPとはいっても、作りっぱなしで良いわけではなく、維持管理、内容の更新、業者への支払い、人件費等をも含めて、想像以上の高額な税金が投入されます。「コスパ」という言葉もありますが、当自治体に本当に今それが必要なのかどうかも含めて、考えてみる必要もありそうです。(2015年11月25日)
日本文化特論という授業で、「女人結界」の話題を説明する時、その起源の一つとされる事柄を紹介します。それは空海にまつわる「山家学生式」の中に記された、彼の考え方ですが、それは本当に彼が言ったことなのか、どうかははっきりとしません。無論、歴史上のことですから、それを検証する方法もありません。ただ、言った、言わなかったは別として、「尾ひれがつく」という慣用句を示しながら、高僧の思想が次第に拡大解釈されながら、社会へ広まって行った様子を留学生には説明します。慣用句は、日本語の中でだんだんと使われなくなって来ていますが、ある事象をイメージする時や、曖昧にしておきたい時などには便利です。何せ、「曖昧さ」は、日本文化の特性ですから。(2015年11月24日)
今日もまた、日本海沿岸地域での木造船漂流、漂着のニュースが報じられています。こうした事例は例年のことですが、今年はちょっと、いつもの年とは違う様相を呈しています。北朝鮮国内での異変を反映したことなのでしょうか?ちょっと、心配です。昨日の新潟は、この時期としては穏やかだったので、庭の木の冬囲い作業をしました。雪の重みから植物を保護するための作業です。雪国ではない地域の方には、関係のない作業ですね。(2015年11月23日)
石川県輪島市門前町の沖合で、11月20日午前、国籍不明の木造船3隻(船長約13m前後)が漂流しているのが発見され、その内2隻よりは成人男性10人の遺体が発見されました。2隻には漁網が積まれ、ハングルが書かれ、「朝鮮人民軍」の表記もあったとされています。毎年、この時期になると、北陸地方(昔の越国)~東北地方の日本海沿岸には、こうした木造船の漂着事例が多く見られます。その多くは木造船であり、日本の漁業者が通常使用する船ではありません。日本海の日本沿岸部では、海流の様相は、西側より東流してくる対馬暖流であり、韓半島の東岸より海に入った物体は、放っておけば、日本の北陸地方等に漂着するのです。彼らの乗船していた木造船も、韓半島東岸域より出航したことは、推察することができます。海流や、この時期に特有の季節風により、その方面より、意図せずに流されて来たものでしょう。古代にも、丁度この時期、日本朝廷の新年の儀に間に合わせる目的で、高句麗や渤海よりの国家使節が、無理をしながらも、北陸地方を目指してやって来ましたが、やはり、結果は散々なもので、その多くは漂着した状態で見つかりました。1,000年以上たっても、日本海を巡る厳しい状況は変わっていないことがうかがわれます。以上、事件の詳細は「新潟日報」11月22日付朝刊参照。詳しくは、①「韓半島と越国(かんはんとう と こしのくに)~なぜ渡来人は命がけで日本へやって来たのか~」をご覧いただければ幸いです。(2015年11月22日)
単なる日本の歴史ではなく、できれば、何かの役に立つ歴史学や文化論の構築を目ざしています。まだまだ、新しい知見の発見が多く、勉強は続きます。初冬の新潟より。(2015年11月21日)
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著者略歴:
小林 健彦(こばやし たけひこ)
1962年生まれ。新潟県出身。学習院大学 大学院 人文科学研究科 史学専攻 博士後期課程 単位取得 満期退学。現職は、拓殖大学 大学院 言語教育研究科 客員教授、新潟産業大学 経済学部 教授。また、日本文化講究機構 歴史工学研究所 代表。専門は歴史工学、日本語運用史、災害対処文化史、対外交渉史等。主な著作には、『定本 上杉謙信』(共著書、高志書院、2000年5月)、『越後上杉氏と京都雑掌』戦国史研究叢書13(単著書、岩田書院、2015年5月)等。プロフィールや研究業績の詳細に関しては、「research map」で、「研究者検索」(小林健彦)をご覧ください。
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